きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.1.20(水)


 今日の予定は、夜9時頃まで会社に拘束されるはずだったんだけど、変更になって、もう(19時前)パソコンの前に座っています。そうそう、勤続30年ということで表彰されました。勤めてさえいれば誰でももらえるんだから、別にうれしくもないけど。金一封はうれしいな。今年出す詩集のタシになる。


 先週いただいて、まだ読んでいなかった、詩集
『蒼玄』篠崎正俊氏を読む。
       sogen 
  1998.12.1 東京文芸館 2500円

 この方は日本詩人クラブの会友で、岩井昭児さんが発行している「帆翔」の同人です。東京港区にお住まいのようですが、まだお合いしたことは、、、たぶん、ないと思います。あるいは詩人クラブの例会あたりでお合いしているかな? だったらゴメンナサイです。
 篠崎さんは非常に丁寧な方で、本の中の封書で贈呈のいきさつを書いてありました。前出の岩井さんの紹介だとのこと。こんなに丁寧に贈られることはあまりないので、感激しています。
 で、肝心の『蒼玄』ですが、これが実にユニーク。老子からハングル語、鳥獣戯画があるかと思うと、こんなタイトルの詩まであるんです。
 http://www.paradaice space
 どんな人かと思ったら、岩井昭児さんの跋文で判りました。ネットワーク・プロデューサーをなさっているんですね。おまけに日本航空の社歌まで作詞しているんです。まあ、とんでもない詩人もいるもんだ、と感心している次第です。

 作品はいろいろありますが、私は「親父」が一番好きです。「その一」と「その二」がありますが、どちらもいい。亡くなった父君のゾリンゲンの剃刀を持ち出して、
  頬や顎に当ってみる
と、
  親父が剃刀を持つ俺の腕を動かして
  俺の首筋を擦ろうとしている   「その一」
 また、昔のボンボン時計を修理して、コツコツ鼓動しはじめると、
  親父が時計の中で眠りから醒め
  俺の残された日々を数えている  「その二」

 男にとっての父親の存在というのは不思議なもので、いつか越えなければならと思っていると、いつの間にか越えている。越えたなと思っていると、いつの間にか遠のいている。私の父親はまだ生きているんで、はっきりとは言えないんですが、判るような気がします。なんか、そんなことが判るような年になったんだな、と改めて感じています。
 篠崎さんは詩集にラストが com のE-Mailアドレスがあったし、インターネットも当然おやりになっているでしょうから、ここを読んでもらうことで礼状の代わりとさせていただくつもりです。


○詩誌
『RIVIERE』 42号
      riviere 42
  大阪府堺市 横田英子氏 代表

 ここの人たちとはもう20年来の付き合いになります。亡くなった伴勇さんの「月刊近文」以来ですから、『RIVIERE』をいただくたびに若かった自分を思い出しています。横田さんを始め、石村勇二さん、梅崎義晴さん、古藤俊子さん、当間万子さん、永井ますみさん、橋口しほさん、今は退会したようですが後山光行さんなどはとても懐かしい気分です。小野田潮さん、植嶋亨介さんとは2年ほど前に詩人クラブでお合いしました。

 全然、話は違いますが『RIVIERE』の真ん中のEは、アクセント記号の付いたフランス語(だったかな?)のEなんです。日本で一般的に使われているシフトJISには無くて、UNICODEと呼ばれるアメリカが(マイクロソフト社が)世界標準にしようとしている文字コードにはありました。これがそうだとおもいますが  E  と E  です。
私のパソコン、NEC VALUSTER NX ではまったく同じに見えます。皆さんのパソコンではいかがですか? ちゃんとアクセント記号が付いているよ、という方がいらっしゃったらご一報ください。電子メディア対応研究会での参考資料とさせていただきますんで。
 こういうことは文筆に携わる者としては放置できない、というのが日本ペンクラブ電子メディア対応研究会の大半の人の考えです。研究会の中で、きちんとした統一見解を現段階では出していませんので、ここでは私見で”大半”に留めてきます。

 「いつもゆれて」松本映氏
  こころして字を書く
  意識して字を書くことがなくなった
  紙一枚をコピーして
  読みこめないから
  蛍光ペンで塗る
  それでも理解できなくている  (第3連)

 「詩が書けなくなったら」仙石幹人氏
  とにかく書かなくちゃ
  しかし この足痛にはまいるぜ
  最初はピョコタン それから杖
  それから車椅子
  いまはこたつで寝たり起きたり
  そのあとは・・・・・・?
  その頃はもう書けないだろうな
  これで今書きたいことの百分の一 (最終連)

 「締め切りぎりぎりセーフ」石村勇二氏
  かといって知識のひけらかしや
  アイデアやちょいの発見で
  詩を書くのは嫌だ
  技巧やレトリックだけで
  詩を書くのも嫌だ
  愛だの恋だの蝶など花など星などと
  うわついたきれいごとだけで
  詩を書くのも嫌だ
  つらい・さみしい・かなしいなどと
  なきごとの詩を書くのも嫌だ
  自分の不幸を他人にまで背負わせてしまう
  詩も嫌だ             (第2連)

 いきなりお三人の引用になってしまいました。松本さんはちょっと違いますが、あとのお二人のテーマは”詩が書けない”です。判るなあ、これ。誰だって経験しているもんね。なんでこんな馬鹿みたいなこと始めたんだろう、って思ったこと一度や二度あるよね? それでやめちゃう人もいるけど、だいたいが今だに”詩が書けない”と言いながら書いている。ホントにアホだなあ、と思いますよ、ご同輩!

 「RIVIERE/せせらぎ」というエッセイのページがあるけど、
「今日医療事情(壊死は甘い匂い?)」永井ますみ氏
は、いつも楽しみにして読んでいます。だって、永井さん、看護婦だもの。違うな、こんなこと書くと怒られるな。本当は、看護の現場から見た医療事情という真面目なエッセイです。私なんかは患者の立場、付き添い人の立場でしか医療を見ていないから、非常に参考になるんです。お医者さんの作家や詩人もいますから、両方合わせると医療現場が手にとるように判る、、、となるはずなんですが、これがちょっと違うんだな。病院、医者、看護婦の組み合わせで、まったく違う存在としてこちらの眼には映るんですよ。
 ちょっと前まではパラグライダーで墜落して重症を負った仲間を、うちの近く病院に連れて行っても耳打ちしました。入院しろと言われても断れよ、ここはなんせ盲腸の手術でも死亡者が出るところなんだから。
 それが今では私が通院しています。理由は簡単、いい医者が大学病院から出張して来ているから。

 永井さんのところはそんなことはないと思いますが、緊急病院に指定されていると、そこにしか行かないんですよ、うちの市の救急車は。
 永井さんは特に重症者を扱っているとかで、エッセイからはいつもお仕事の大変さが覗えます。でも、こうやって毎号書くということは、ある意味では楽しんでいるのかな、と思います。重症者が亡くなっていく場面に何度も立ち合わられて、そのたびに人間の美しさや尊厳を書いていらっしゃいます。今号もそうです。職業とは言え、そのひたむきさには頭が下がります。

 ところで永井さん、お礼は今までメールでやっていたけど、これからはここで書くからね。皆さんにもそうお伝えください。



         
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