きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.1.31(日)


 昨日は日本詩人クラブの選挙管理委員会に行ってきました。今年の春に理事・監査の選挙が行われるため、選挙管理委員に任命されたからです。なんか、いかめしい肩書きですが、なんのことはない下働きです。昨日は投票用紙の発送が仕事。800名近い会員に発送するのですが、正直に言って大変でした。2時間もあれば終るだろうとタカをくくっていたのですが、とんでもない、たっぷり4時間はかかってしまいました。7名もいて、であります。
 選挙管理委員なんて初めてなりましたが、こんなに大変なことだとは思ってもいませんでした。会の運営というのは、そういう下働きで支えられているんだな、とつくづく感じた次第。いい経験でした。


詩集
『春星のかなたに』谷本州子氏
    synsei no kanatani
  1999.3.11 石の詩会 2000円

 未知の人からいただく本というのはうれしいものです。まして、その中でいい作品に出合うと、現代詩の衰弱云々などと言っている御仁はいったいどこに眼をつけているのか、と言いたくなってきます。

 

鬼ごっこの鬼は おおむね
要領が悪くて
気が小さくて
貧しい家に住んでいて
家族に聞かれたくない
あだながある
本当は一回も鬼にならなかった者が
鬼だ

 夫君を亡くしたことがこの詩集の大きなテーマになっていますが、あえて上記の詩をとりあげてみました。この詩を読んで、深く追求するということはどういうことなんだろう、と考えてしまいました。普通なら子供たちが鬼ごっこをしている情景を取り上げるだけで終るか、鬼にされた子の心境をうたうか、"あだながある"で止まってしまうだろうと思います。
 そこがこの詩では"本当は一回も鬼にならなかった者が/鬼だ"と追求しているんです。

 そこからが読者の仕事で、この場合の鬼は悪鬼という前提になっていますが本当にそうなんだろうか、一回も鬼にならなかった者はなぜ存在し得たんだろうか、なんてことを考えることができます。もちろんこの詩のあとにそんなものをくっつけたらぶち壊しになってしまいますが、そうやって考えさせる詩が、私にとってはいい詩のひとつの条件なのであります。

 ことばの階段
  まえに言ったと
 てまえ勝手
たてまえで弱い者いじめ

 こだま
こだまは
安心して返事を待てる
自分の言ったこと
以上でも以下でもない

 このふたつの詩は対になって配置されているわけではないんですが、読んでいてそうなっていると思いました。作者は意図してバラバラにしたんだろうと思いますけど、それを再構築させるのも読者の楽しみです。そんな度量の広い詩集も私にとってはうれしい。

 あまり長いものはとりあげられないので、短い作品を中心に感想を述べましたが「盲導人」「塩」「盆」「ロン」「さいら」などなど読んでもらいたい作品が多くあります。インターネットの性格上、著者の住所は記せませんが、
pfg03405@nifty.ne.jp までご連絡いただければ、著者との中継ぎを買ってでます。もちろん著者は、そんなことを私が勝手に決めているなどご存知ありません。

 ちょっと思い入れが強すぎる気もしますけど、ちょっと前までの日本人が持っていたいい面を堪能できる詩集です。私たちは何を得て、かわりに何を失ったか考えさせられる詩集です。
 技術屋の私がそんなこと言うのはおかしいのかもしれませんが、だからこそ忘れてはならない側面だと思います。

 1999.1.27の【ごまめのはぎしり】にも書きましたが、シンクタンクの日本支社長と話しをしていて「今の日本人はなんのために仕事をするかという観点がすっぽり抜けている」と言われたことが頭に残っています。



      
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