きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
chibori park
ローマ・チボリ公園 '99夏




1999.10.1(金)

 日本詩人クラブの理事会がありました。来年の創立50周年記念に向けて、各委員会の準備が着々と進んでいます。会員・会友の皆さまにはお手伝いをお願いすることになります。このHPで言うのもなんですが、よろしくお願いいたします。
 詳しくは広報誌『詩界』をご覧になってください。


田村雅之氏詩集『鬼の耳』
   oni no mimi
  1998.12.25 砂子屋書房刊 2500円+税

 鬼の耳

三年前の夏に
はるか南の島で
鬼の耳と題された素焼きの壺を
その口に挿されたひともとの枯れ枝と
数珠つながりの実とともに
求めた
飴玉ほどの花房には白濁珠が
ぎっしりと詰まっていて
そのオブジェを
ヤマトとウチナーの女男がかわす
相聞えのように
昼夜に賞でた

魂のひとつ
実のふたつ
つぶらのみっつと数えながら
それが馥郁たる香を放つ
月桃の花の実と知ったのはつい最近のこと
房室のなかの珠は
あの沖縄戦のがまの白骨にちがいない
と思ったのも
死んだ霊魂を鎮め祈りを永久に封じ込めておくのは
高貴で、誇り高い
わが敗者
鬼の耳にふさうと思うのだ
だからくりかえして問うてみる
ラディカルに
根源的に
根の国の耳鳴りを
わが罪をつぐなうように
骨洗うように

 古語が含まれていても、なんの違和感もない不思議な作品ですね。時間の切り取り方、組み方がうまく、それが現代の言葉と古語との組み合わせに違和感を与えないからだ、と思います。他の作品も同様に古語が多用されています。しかし同じような理由で成功しています。
 作者の言葉へのこだわりは並大抵のものではないと思います。この表題にもなった「鬼の耳」を見てもお判りいただけるでしょう。それが時に古語になったりラディカル≠ニいうような現代語になったりするのだと思います。根の国≠ニはおそらく沖縄県を指すのだと想像しますが、そんな使い方にも作者の力量を感じます。
 本年度の第31回横浜詩人会賞を受賞した詩集ですが、さすがは横浜詩人会の皆さん、見る目がありますね。これだけ内容のある詩集はなかなか出ないものです。


高橋晟子氏詩集『どうして?』
   dosite?
  1999.9.15 花梨社刊 1200円

 横浜詩人会の大石規子さんから紹介を受けて、という添え文とともに寄贈されました。第一詩集だそうで、まずはおめでとうございます。でも、作品はかなり完成されています。菊地貞三さん、大石規子さんのもとで16年も勉強なさったというだけのことはあります。

 訃報

通りすがりの町の掲示板でみかけた
一枚の訃報
享年 七十七歳

山道に落ちている一つ・二つの藤の花から
見上げる山の斜面に
たわわに花房をつけた藤の木を
見つけた時のようで
----この町に今日まで こういう人が生きていたのだ
この町の風の中を歩きながら
----お生まれはどちらですか?
  ご家族は?
  どんな装いがお好きでしたか?
  お幸せでしたか?
七十七年かけて完成された生命が
ほほえみ返してくれた気がした

見知らぬ人の訃報は
死を知らせるのではなく
生きていたことを 知らせてくれた

 こういう発想が他の作品にも多く見られます。詩人としてはとても良いことだと思います。しかも何気ない町の風景の中でのことですから、作者の感性の高さも知ることができます。2連目の「たわわに花房をつけた藤の木を/見つけた時のようで」という比喩も唐突で読者にショックを与えますね。



 
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