きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
chibori park
ローマ・チボリ公園 '99夏




1999.10.7(木)

 ちょっと遅くなりましたが、日本詩人クラブの10月例会をご案内します。お気軽においでください。

  日時 10月9日(土)午後2時より
  場所 神楽坂エミール(教育会館)電話03-3260-3251
  内容 マイ・ポエム・ワールド(会員による朗読とスピーチ)
      天彦 五男、李 承淳、吉田 啄子
     講演 相沢 史郎氏「なぜ、方言詩か」
  会費 会員、会友無料 一般500円


愛敬浩一氏詩集『クーラー』
   cooler
  1999.8.20 ワニ・プロダクション刊 1500円+税

 記録

距離を置いた
礼儀正しく

見通せたものはなにもない
個人的な事実のいくつかがメモできただけだ

ほどほどにタフであった

昼と夜とがどんどん逆になっていく
自分は堕落しているのだろうか
と私は考える
ほどほどに

周りをぐるぐる廻る
石になるまで
まるで詩人のような気の長さだ

 愛敬さんと初めてお会いしたのは、昨年の晩秋ではなかったかと思います。もう20年近く前からお名前と作品は存じ上げていました。会った瞬間に、あっ、愛敬さんだ、と思いました。お顔は存じ上げていなかったんですが、すぐに判りました。不思議な人なんです。詩人らしい詩人、と言ってしまえばそれまでかもしれません。
 この詩集も、私の頭では説明が難しいんですが、愛敬さんらしい詩集です。特にこの「記録」は端的に愛敬さんを表しているようで、取り上げてみました。「まるで詩人のような気の長さだ」なんて、書こうと思っても書けるもんじゃありません。こんなことをポロッと書くのが愛敬さんだと思います。
 「記録」という無機質な言葉に、「礼儀正しく」接することができるのが、この詩人の強みであり特質なのかな、と思いました。私も無機質な言葉が大好きなんですが、マネできませんね。


詩誌『象』95号
   katachi 95
  横浜市港南区 篠原あや氏 発行

 窓辺/横田 弘

母の夢を見たくなって
わたしは ここに来た

今夜が最後だという
ハマの小さなホテル

 「熱いダージリンと ブルースが好きでね
  いつも小声で歌ってたっけ」

年に一、二度この部屋に泊まって
熱い紅茶と思い出を啜っていた 母

 「ヴェトナムに発つ朝
  笑って手の甲にキスしてさ」

それでも ながいこと
窓の下から母を見上げていたという 父

今夜が最後だという
ハマの小さなホテル

あの時の母の年齢(とし)を越えた私が
今 ここに居る

 ホテルというのは、考えてみれば不思議な空間です。見ず知らずの人たちが同じ屋根の下に泊まって、場合によっては同じ釜のメシを食って、分かれていく。そして、また泊まりたいと思うホテルには何度でも足を運ぶ。作者の「母」もそういうリピーターだったのでしょうね。その「母」を見る「父」と、「わたし」の間の「窓辺」。構成もうまく機能しているようです。
 「今夜が最後だという/ハマの小さなホテル」というのは、あのホテルかな、と思い当たるフシもありますが違うかもしれません。横浜ではこの2、3年で何軒か廃業しているようですから。
 私もホテルは好きで、毎月のように利用しています。都内より横浜のホテルの方が好きですね。適当に庶民的で、適当な高級感があっていつも満足しています。



 
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