きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
chibori park
ローマ・チボリ公園 '99夏




1999.10.10(日)

 体育の日ですが(^^;;文化活動発表会というものに行ってきました。娘の通っている、丘の上の中学校です。全校生徒67名という小規模校ですから、たいしたことはないな、と思って行ってみたんですけど、なんのなんの、たいしたもんでした。
   991010
     PTA合唱
 生徒より親の数の方が多いんではないかと思いますね。それになにより、中学校の文化祭で親が歌いますか? 大規模校ではこんなことないんでしょうね、よく知りませんけど。演劇もありましたが、生徒は全員参加! プロのソプラノ歌手やピアニスト、マリンバ奏者も来て、親の方が楽しんじゃいました。地域のお年よりも来て、先生、生徒、PTA、地域がゴチャゴチャ。いいことだと思います。毎年行きたくなりましたよ。


個人誌『等深線』4号
  tosinsen 4
  横浜市旭区 中島悦子氏 発行

 空腹について

    ------そこの痩せこけたおばあさんは、運動会へ
       行ったんだろう、と事もなげに答えた。
      「それで、その運動会は、どこでやっている
       のです。この近くですか、それとも」

崑とめずらしく太宰治の話をした
津軽にひとり旅をしたから
小説を思い出して
ずっと思っていたことなんだけど
最後の運動会の場面があまりにすばらしくて
もし、これがフィクションだったら
太宰は天才だねというようなことを言ったら
崑は
いや、あのリアリティーは
フィクションじゃないよ
現実には、
本当に運動会だったってことが
あるもんだよ
そんなものだよ
と優しく言った

私はほっとした
崑にそんなものだよと言われて
急におなかがすいていたのを思い出した
崑の目の前で
持ってきた星型パンを食べた
崑は、黙って煙草をのみながら
パンについている砂糖を見ているふうだった
ひとりだけパンを食べながら

前の日
雪だったんだよ
というようなことを言った

 まるで小説を読んでいるようですね。もちろん悪い意味ではなくていい意味で。太宰の話が出てくるからそう思うのかもしれません。それより崑≠フ描写が優れてているからだろうと思います。その描写も小説の描写ではなくて、あくまでも詩としての描写です。「パンについている砂糖を見ているふうだった」というフレーズで崑≠フ性格も読み取ることができます。
 終連の3行もいい。ほんとうに小説の1シーンみたい。詩も、こんなふうに作れるのだと改めて発見しました。


高橋サブロー氏著『山と海の詩 我が心の山岳遍歴
   yama to umi no shi

  1996.3.12 東京新聞出版局刊 1800円

 山と海と詩に関することならなんでもこなす、という著者の意欲がビンビン伝わってくる本です。ちなみに全342頁の中から、目次の大項目だけを拾ってみると、
 一、日本の山と海の詩
 二、外国の山と海の詩
 三、北陸の風物詩(写真)
 四、我が愛読する金沢の山の詩と散文
 五、我が愛する詩人(作家)たち
 六、山と海と学会(散文・旅行記)
 七、加賀の高三郎山(紀行文)
 八、花と富士山(随想)
 九、恩師・福田精先生を偲んで(追悼文)
 十、海・耳・山の詩に思う
となります。
 いかに多くの分野に功績を残しているかがお判りいただけるでしょう。ちなみに学会∞耳≠フキーワードで、著者が耳鼻咽喉科のお医者さんであることが判ります。写真もセミプロのようです。
「一、日本の山と海の詩」から次の作品を紹介します。

 焼餅

火鉢に炭火 網金に焼餅
火鉢を取り巻く兄弟たち
程よく焼くのは僕だけか

焼き具合を絶えず
見ようと裏返したりする
僕の気の短い所が
焼餅やきに性が合うのか
ほど好く焼けた餅に砂糖醤油をつけ
焼き海苔で包んで食べると一味違う
入れ歯が嫌った焼き過ぎの冷めた餅
そんな堅い餅は砂糖湯に浸しもする
焼餅は程好く焼くのをよしとするか

やきもちがふくれ面して叫んだ
網焼きにしろ 手焼きにしろと
オーブン・トースターの中から。

 終連で思わず笑ってしまいますね。そういえば独身の頃はオーブン・トースターで餅を焼いたことがありました。でも、今でも時々、網焼き手焼きをやっていますよ。キャンプ場に七輪を持ち込んで。



 
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