きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
ローマ・チボリ公園 '99夏 |
1999.10.15(金)
今シーズン最後のベイスターズ:ヤクルト戦を見ました。20時から1時間ほどしか放映がなかったので、その分の不満は残ります。しかし、ローズのリーグ最多ヒットも、畠山、西の最後の出場場面も見られたから、まあ、良しとしましょう。
ローズも尚典もいい出来で、チーム打率は2割9分4厘と史上初だというのに、優勝どころか2位にもなれないというのは、情けない気もします。しかし私がベイスターズに興味を持って、生まれて初めてプロ野球を見出してから、2位、優勝、3位だったわけですから、大洋時代からのファンだという人には怒られるかもしれませんね。贅沢言うな(^^;;と言われそうです。
ローズの残留も決まったし、来年に期待しましょう。でも、佐々木はいったいどうなっちゃったんでしょうかね、気がかりです。
○幸田和俊氏詩集『薔薇の花摘み』
1999.10.15 土曜美術社出版販売刊 2000円+税
鏡
巫女は山頂で降霊の儀式を行ない 赫く九龍の鏡を天にむける。祈
祷して肉体からは生命のみなもとを絞りだし 鏡に燃焼させる。す
ると曇った天からの意思が鏡に落されるという。
このようにして人々に悪意を満たすために曇った天の作意によって
鏡はつくられた。
わたしは日々さりげなく鏡に顔を映す。鏡はいつしか日々の欲望を
映す物となった。
鏡に映すわたしの行為は日常の表皮を映すことでもある。だからわ
たしのむさぼる恨みが消えたためしはない。
鏡に月の光を集め心象を映すわたしの儀式は なぜかわたしの現実
より赫々としている。
宗教儀式と鏡というものの関連がよく判りませんでしたが、はからずもこの作品で理解したように思います。ここに書かれていることが事実かどうかは知りません。しかし鏡の持つ神性さというものは、たぶんこんなふうなんでしょう。それを読者に納得させる力を持った作品だと思います。
翻って、日常の中での鏡を作者は「日々の欲望を映す物」ととらえます。この設定のしかたも納得できますね。他人さまに見てもらうために鏡を使うわけです。他人への礼儀という意味ももちろんありますが、やはりきれいに見せたい≠ニいう「欲望」が根底にあるのでしょう。だから「恨みが消えたためしはない」とする作者の視点はさすがだと思います。
○滋賀銀行PR誌『湖』131号
1999.10 滋賀銀行営業統轄部発行
『山脈』同人の西本梛枝さんが、このPR誌に毎号「近江の文学風景」と題して、滋賀県に縁のある文学作品を紹介しています。今号は宮尾登美子の『序の舞』。浅学にして私はまだ読んでいませんでした。
『序の舞』は女性で初めて文化勲章を受けた日本画家、上村松園の生涯を描いた小説のようです。西本さんの文章のすごいところは、本を読んでみたくなること、現地に行ってみたくなることです。
事実、私は以前西本さんがこのPR誌で紹介した水上勉の『湖の琴』を読んでしまい、湖北まで行ってしまいました。現地の写真も豊富にあって、読者をその気にさせるのも一因でしょうが、やはり西本さんの文章に惹かれて、と言いたいですね。
もうひとつ「街物語」というものも連載でお書きになっています。こちらは虎姫町の紹介。虎姫という名の由来や町の風景が紹介されています。こちらも魅力的です。「田川カルバート」なんていうのは建築関係の人には有名なのかもしれませんが、私は初見。要するにふたつの川が上下で交差するというもの。へーえ、そんな所があるんだ!また近江に行ってみたくなりました(^^;;
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