きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
chibori park
ローマ・チボリ公園 '99夏




1999.10.30(土)

 ふうーっ。ようやく『山脈』105号の原稿を書き上げました。分担の散文ふたつはすでに書き上げて、主幹のもとへ郵送してあるんですが、問題は詩。でも、ひらめきましたよ。車を運転していて、ふーっと感じた既知感。実際には通り慣れている道ですから、概知感とでも言うべきなんでしょうが、逆に高校生の頃にしきりに襲われた既知感を思い出しましたね。それと現在の日本の状況がうまくダブって、傑作になったはず(^^;; タイトルは「いつか来た道」。ちょっと噴飯ものですが、これが一番、だと思っています。
 12月末には出る予定ですから、送りつけられた人は読んでね。傑作ですよ、傑作、、、ダトオモウ(^^;;


隔月刊誌『東国』109号
   togoku 109
  群馬県伊勢崎市 小山和郎氏 発行

 井上敬二さんからいただきました。今号では次の作品をご紹介します。

 ミルキィウェイ/愛敬浩一

眠るしかない日もある
起きるしかない朝があるように

言い争うしかない日もある
告白した一日があるように

自らを支えられないほどの喜びの日があるように
自らの過失についての許しを乞う日よ

すべては自ら背負うしかないと
いやというほど思い知らされる日々よ

日々の飛沫よ

 対語に惹かれました。対で言葉を繋いでいくことは、簡単なようで実は難しいものだと思っています。そこを、うまくやっているなあ、と思いました。タイトルと最終連がうまく合っていて、全体を引き締めています。それに第三連の「自らを支えられないほどの喜びの日があるように」という言葉も、最初は何気なく通り過ぎたんですが、よくよく読んでみると、大変な言葉だと思います。「自らを支えられない」喜びなんて、あったんだろうか?自分には。
 「日々の飛沫」と表現する愛敬さんの気持ちも判るような気がします。でも「ミルキィウエィ」なんですね。ミルキィウエィは良い意味にも悪い意味にも取れますが、ここではあたたかい意味に取りたいですね。


詩誌『梢』21号
   kozue 21
  渋谷区千駄ケ谷 宮崎由紀氏 発行

 このHPでも紹介していますが『ペンギンさん 頑張ろうね』という詩集を最近お出しになった北村愛子さんよりいただきました。その北村さんの作品を紹介します。

 もっとやわらかく煮てーな/北村愛子

八十五歳のおかあは
入歯かたかた鳴らして
食べる

そんなに音たてて
食べんでーな
下品やさかい

そやかて
おまえが切った
この千切りきゅうり
大きゅうて噛み切れん
もっと小さく切ってーな

くちゃくちゃ
かたかた
入歯鳴らして食べている

はよう食べてーな
かたづかんさかい

そやかて この肉かみ切れん
もっと柔らかく煮てーな

 この方の作品は『ペンギンさん 頑張ろうね』でもそうでしたが、あたたかくて、でも考えさせられて、そのうちシンミリとしてくる作品です。この作品もそうですね。ほっ、と笑えるけど、底にある老いの問題を考えざるをえません。作者はおそらく、そんなこと考えていないとおっしゃるでしょうが、私は考え込んでしまいます。
 関西弁も有効に使われていると思います。なぜか、こういう会話というのは関西弁が有利ですね。関東弁ですと、ついカドが立つようでなかなかこうはいかないんではないでしょうか。北村さんは生まれも育ちも関東のようですが、関西にお住まいになったことがあるのかもしれません。そうでなければ、こんなにうまく関西弁を使えないと思います。関西弁を使ったことがなくてこの作品をお作りになったとしたら、それこそすごい、ほんもののモノ書きですね。



 
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