きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラカワハギ」




1999.11.3(水)

 一日中曇り空で、寒かったですね。夜になって、うちの居間ではとうとうストーブが登場しました。とたんに犬がストーブの前で長々と寝そべっています。「犬は喜び庭駆け回り、猫は炬燵で丸くなる」というのは、うちの犬に限ればウソです。情けないヤツ!
 私の書斎では、まだストーブを出さないでガンバッテます。ストーブの前に本が積み上げられていて、出せない、ってのが正しい表現です(^^;


和田文雄氏詩集『村』
   mura
  1999.11.3 土曜美術社出版販売刊 2000円+税

 炭やきの祈り

山の神さまにお願いします
木を伐らせて下さい
炭を焼かせてください
犬小道を往ききします
炭がまの煙が山の雪をはだらに溶かし
炭が焼けた
赤い炭に消し粉をかけると
からだじゅうが熱くなります
町ばの人もきっと喜んでくれます
山の神さまから授かった温とさです
山の神さまを拝みます

 昔の人の敬虔な気持ちが伝わってきます。今もそうなのかもしれません。サラリーマン生活をしていると、こういう気持ち判らなくなるようで不安です。
 もうひとつ紹介しましょう。

 拝む

山で木を伐るときは
どんなときでも
手を合わせます
だって木のいのちをもらうんだから
すると伐る人は無事に仕事が終ります

 生物は、他の生物の命をもらうことによってしか、生きていかれません。他の生物の命をもらう時は、拝むという発想に目を開かれる思いです。判り切ったことが、ともすると忘れ勝ちになるようで、もう少し謙虚にならなければ、と教えられました。


沼津の文化を語る会会報『沼声』233号
   shosei 233
  静岡県沼津市 望月良夫氏 発行

 「新世紀会のリレー随筆 世相両断」で武蔵工大教授の芹沢功さんという方が、次のような文章を載せています。

 「……父親が子供と平等になって、息子は、わがまま放題になり、父と同じになって、両親に気兼ねせず、恐がりもしない。
  ……先生は生徒を恐れて、へつらい、生徒は先生を軽蔑している。
  ……若者は年長者をまねて張り合い、老人は若者たちに調子を合わせている。」

 なんと、「ソクラテスが語ったとプラトンが『国家』に記している古代ギリシャのアテネの民主社会の描写の一部をここに意訳」したものだそうです。現代社会のことかと思いました。
 プラトンは民主主義を病的政治制度と考えていたそうです。5000年も前に民主主義の欠点を指摘していたとは!
 また、次の文章にも考えさせられました。

 「十九世紀はじめ(新聞、雑誌しかメディアがない時代)に、J・S・ミルは「文明」という小論文の中で、……文明が発達すると、人は遠くの無責任な意見に従うが、当人をよく知っていて、親身になってくれる人の意見には耳を傾けなくなると…と言っているが、今まさに、この萌芽的現象は、開花してしまっている。ミルの予言は現実になってしまったのである。」

 うーん、これも確かに。それが「文明」だとすると、どうすればいいんでしょうかね。後戻りはできないし…。
 私は「個の確立」がキーワードになるのではないかと思っています。うまく説明できませんが、個々が個々としての責任と義務を果たすしかないのではないか、と思うんです。それは立身出世や金儲けと決別し、本当の個の自由を得る道だと考えますが、まだ、うまく説明できません。いずれまとめてみるつもりです。
 『沼声』の魅力は、執筆陣の幅の広さ、深さでしょうね。毎号毎号私にとっては新しい発見があって、楽しみにしています。



 
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