きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラカワハギ」




1999.11.13(土)

 日本詩人クラブの11月例会がありました。講演は北畑光男さんの、「病の宇宙−詩人・村上昭夫の世界」。村上昭夫という人は、名前だけは知っていたのですが、どんな詩人なのかまったく判りませんでした。昭和30年代に結核で亡くなったようですが、詩人らしい詩人だったんだな、と講演を聞いて思いました。会場で村上昭夫の詩集も何冊か売っていましたから、帰りにでも買おうと思ったら、売り切れ。講演を聞いていた人たちが興味を持ったらしく、講演の途中で買ったようです。残念。そのうち古本屋ででも見つけてみます。
 当日は村上昭夫の弟さんの息子、という方も見えていて、挨拶をしていました。長身の今時の若者、という感じです。北畑さんも村上昭夫も同郷だったようで、その関係で見えたんでしょうね。会場の雰囲気も急になごやんだ感じでした。
   991113
      会場風景
 詩人クラブのHPにも写真を載せてあります。ここでは別の写真を使います。奥の右から4人目で、講師を見ている若い男性が、前出の親戚の人です。ちょっと小さくて判らないかもしれませんね。


文藝誌『セコイア』24号
   sekoia 24
  埼玉県狭山市 松本建彦氏 発行

 日本詩人クラブ会員の長津功三良さんよりいただきました。長津さんの作品の一部を紹介します。

 爆弾は その日40万人ぐらいいたはずの 市街の中心部で 爆発
 摂氏数百万度 圧力数十万気圧
 火球は急速に膨張 一秒後半径二三〇メートル
 三秒後までに特に強烈な熱線を放射 約十秒輝く
 そして壁のような圧力の衝撃波 と 猛烈な強風
 (爆心地の風圧 一平方メートル当り三五トン)(「腕」第7連)

 広島に落された原爆を扱った詩の一部分です。私はこの表現に戦慄を覚えます。感情を抜きにした即物的な表現のもつ、強さを感じます。数百万度とはどの程度の温度か、数十万気圧とはどんな状態か、多少は科学をかじった人間なら容易に想像できるでしょう。それが人間に向けられた時の怖さは、想像を超えています。
 この作品は米兵の「腕」が伸び、投下ボタンを押すことから始まっています。表現はあくまでも冷静で、何の感情も加えず即物的に書いているだけです。原爆の詩は多くありますが、このような書き方はほとんどないのでは、と思います。
 他に渋谷直人氏の「島尾敏雄論(第一部)」もあり、こちらも優れた論だと思います。島尾敏雄はほとんど読んでいませんが、それでも理解させるだけの文章でした。


弓田弓子氏詩集『少女が覗いたかみさまたち』
   shojyo ga nozoita kamisama tachi
  1999.11.10 ワニ・プロダクション刊 1500円+税

 写真

結わかれたまま
半円形に
ごそごそ動く食器

結わかれたまま
半円形に
台所の女

結わかれたまま
半円形に
出勤する男

幸せの構図だよと
言われても
シャッターは押せない

少女は
結び目がほつれる父母を
写してきた

 あとがきに「十三歳の孤独、ということをよく考えることがあります。(中略)そんな十三歳への思いがありまして、少女時代に残されていた自分の言葉を拾い集め、一人の少女を登場させてみました。今の少女に通じるところがありましたら、年月を経て登場してきたこの少女も救われます」とありました。
 今の少女に通じる、どころか今の少女そのものではないかと思います。人間はそんなには変わらんもんだと思いますよ。家族という面では、これからどんどん破戒していくんではないでしょうか。破戒≠ゥどうかということは、考えると難しいですけどね。
 弓田さんとは20年来のつき合いになりますが、弓田さんの原点のひとつを見た思いです。詩がやわらかくなったなぁ、とも思います。もちろん、良い意味でです。



 
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