きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラカワハギ」 |
1999.11.14(日)
日本詩人クラブ会長の高橋渡さんが亡くなりました。今年の5月から理事会でご一緒させてもらっていますが、11月理事会にはお見えにならず、調子が悪いのかな、と思っていた矢先だっただけに、ショックです。
詩人クラブの会長職も気持ちよく引きうけてくれて、2年間の任期の中では教わることも多いだろうと期待していました。残念です。
会長職は理事長が代行するようですから、仕事の上で混乱することはないと思います。しかし、それでなくても忙しい理事長が会長職まで兼ねるとなると、今度はそちらの方が心配です。微力ながら今まで以上の協力を考えなければなりません。
16日夜が通夜、17日昼に告別式とのことで、通夜に伺おうと思います。たまたま16日の午後に日本ペンクラブの電子メディア対応研究会があり、休暇をとっていたのが幸いしました。
○正岡洋夫氏詩集『時間が流れ込む場所』
1999.11.1 編集工房ノア刊 2000円+税
夏の波切
波切へ
海を見に出かけた
時間が流れ込むという場所で
私たちは日がな石段を昇り降りしていた
生命の数だけ海はうつくしい
険しい斜面に並んだ家々
先端には白い灯台
壁を伝って断崖を歩いた
波切で私は少しずつ狂ってゆく
姉は静かに笑ったままだ
夕闇が近づいてきて
私たちの後ろに影が長く延びている
切り取った脳と残された記憶
灯台はぐるぐると灯を回転させ
空があんなに赤い色を滲ませている
波が一瞬写し出されて消えた
思い出は前後なく現れる
ああ波切はいい
家族で並んで駅まで歩く
子どもは何人だったかというような
病室のバラは何本だったかというような
やわらかい時間が流れ込んできて
私たちの前で立ち止まる
駅で座って集合写真を撮った
なつかしい夢の瞬間
姉は死んだ父が立っていると言う
老いた母はせめて次の春までと言う
それはきっと贅沢な願いではない
波切で私は少しずつ狂ってゆく
前方に見えるのは断崖
その下には暗く寄せてくる海
最後の夏に
時間が無秩序に流れ込む場所へ
私たちは歩いていた
「波切」というのは地名だろうと想像します。「死んだ父」まで一緒の家族旅行として捉えましたが、不思議な作品で、何度も読み返してみました。正直なところ、表面的な解釈が私にはできません。しかし、惹きつけられてしまいます。「波切で私は少しずつ狂ってゆく」という同じ言葉の繰り返しが何を暗示しているのかもよく判りません。しかし、この作品には欠かせない言葉のように思います。置いてある場所も適切です。
「時間が流れ込むという場所」「やわらかい時間が流れ込んできて」「時間が無秩序に流れ込む場所」という時間の概念もおもしろいと思います。これがあるから、この作品を魅力的にしているのでしょうか。
自分の読解力のなさを、まざまざと見せつけられた思いをしています。
○川島完氏詩集『ピエタの夜』
1999.9.20 紙鳶社刊 非売品
朝のひびり
六パーセント
十七世紀末スイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイは
<ベルヌーイ数>を発見した人で
ライプニッツらと与んで
<積分>という数学用語を定めた人だ
弟ヨハン・ベルヌーイも数学者で
<関数>を定義した人である
その子ダニエル・ベルヌーイは
<ベルヌーイの定理>を発表して
「流体力学」を学問づける大学者になった
調べてみると彼の母も数学が得意で
伯父も叔母も従兄弟までもが
数学大好き人間だったようなのだ
さらに一族七二八人を調べていくと
六パーセントの四八人を除いて
みな数学の才に長けて難問を解き合ったという
六パーセントの人々をもっと調べてみたら
早死の人や
詩を書いて拗ねていた人もいたらしい
今はそのことが救いだ
私は大学で
ベルヌーイの定理を含む
物部「水理学」の単位を一度落した
二十世紀末上州の工業高校で私は
<ベルヌーイの定理>を
消え入りそうに話し糊口を凌いでいる
父は國漢の教師だったし
母は家計簿さえつけていなかった
兄たちは早々に死んでしまい
私一人拗ね方も知らない
久しぶりに「ベルヌーイの定理」が出てきたんで、あわてて理化学辞典を引っ張り出してきました。よく判らん(^^;;
流体力学からだいぶ離れてしまったんで、忘れるのも早いですね。でも「ベルヌーイの定理」=流体力学 ぐらいは覚えていましたけど…。
「今はそのことが救いだ」で笑って、「私一人拗ね方も知らない」でまた笑って、好きですね、こういう詩。川島さんのお姿が目に浮かんでくるようです。数学を詩に書ける人は少ないから、こういう作品はどんどん書いてほしいですね。
重箱の隅、ですが「物部」は「物理」のミスプリでしょうね。「物部」で辞書を引いても「水理学」に関する言葉はありませんでした。
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