きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラカワハギ」 |
1999.11.24(水)
きょうは特記事項なし。平凡に会社に行って仕事をこなし、平凡に帰ってきて本を読んでます。おお、なんと非凡な日なんだ(^^;;
○鬼の会会報『鬼』331号
奈良県奈良市 中村光行氏 発行
鬼のしきたり(20)
酒は色も大切
儒学者の頼山陽は、どんなときでもギャマンの盃を持参して歩いた。そして山陽が、お気に入りの酒は、周知のように伊丹の剣菱と男山である。その酒を飲むためにも、ギャマンのグラスを必要としたのだ。かれの持論では、酒は味のみでなく、色も重要視しなければならなかったのである。味のよい美酒の色は、池に映った残月に似ているというのが、漢詩人頼山陽の持論であり、主張であった。
うん、これは判りますね。確かに日本酒は色を楽しむこともできる酒だと思います。グイ呑みの底に青い螺旋模様が書いてあるのは、オリを見るためのようですが、色も判りますね。でもやっぱり透明のグラスが一番かな。私はワイングラスで日本酒を呑むこともあります。けっこう洒落ていて、雰囲気いいですよ。
この中村さんの文章で愕然としたのは、「剣菱」「男山」です。もちろん名前は知っていて、呑んだこともあります。頼山陽の時代からあったんですか! 山陽は幕末の人ですから、古くないと言えば古くないんですけど。確かに、そのくらいの時代から続いている酒は多いでしょうね。思わず歴史を感じてしまって驚いた次第です。これからは、酒呑むときは日本の歴史を考えながら呑むようにします。
○湧彩詩誌11『曼荼羅』
栃木県茂木町 湧太・釉彩氏 発行
報国寺
女の闇を突きあげるように
若竹が満ちて
褐色の皮に覆われた
精気におぼれる
孟宗竹が 空に向かって
風を 掴んだ
竹林を流れる
風が
女の抱える
秘所で火を吹く
女の生きざまに
修羅を孕んだ
若竹の皮をそぎ落とす
この作品では、竹をどのように考えるかがポイントだと思います。「修羅を孕んだ/若竹の皮」をまず考えて、第1連の若竹、第2連の竹林を考えるのが近道だと思います。孟宗竹はちょっと難しいんですが…。
若竹、あるいは若竹の皮に修羅がある、とする作者の視点は、唐突な感じを受けますが、そうでもないでしょう。若竹、筍が地面からニョキと生えている姿は、性的と言えるかもしれません。私は潜在的にそう思っていたようで、この作品によってはっきりさせられました。
そうすると「女の闇を突きあげる」とか「修羅を孕んだ」という言葉も理解できるようになりました。
この作品で最初に注目したのは第2連の「孟宗竹が 空に向かって/風を 掴んだ」というフレーズです。これは情景描写として優れているなぁ、と思ったからです。全体の中でもここは異質で、具体的です。このフレーズがあるから、全体を引き締めて奥行きのある作品にしているのだと思います。
○詩と散文・エッセイ誌『吠』9号
千葉県東庄町 山口惣司氏 発行
十二月七日ひるまえ/王冬冬(清岳こう訳)
街角を
男が一人 通りすぎた
街角を
男が二、三人通りすぎた
十二月七日ひるまえ
また おおぜいの人が老いぼれてゆく
街角に
木の葉がちる
子どもが紙くずをまるめては
地面に勝手きままに並べ
それは てんでんばらばらにちらばり
年寄達は井戸端会議にうつつをぬかし
立っている者もしゃがんでいる者も
みな いちように無表情のままだ
私はそれを一日中ながめていた
自分の影をうすく長く引き
いつまでたっても行くべき所もなく
第1連でまず惹きつけられました。ああ、この人は悲しみを知っていななぁ、と。ちょっと気障な言い方ですが、そんなふうに思いました。そして第3連。「おおぜいの人が老いぼれてゆく」仲間にも入れないかのような作者の視線に、ある意味では救いようようのない絶望を感じます。
作者は中国ハルピン市在住です。いくつくらいの方なんでしょうか。還暦を過ぎているのか、まだ30代の人か。年齢は関係ないかもしれませんが、30代なら安心しますが、60過ぎの人だとちょっと考え込んでしまいます。
それにしてもタイトルのつけ方がうまいですね。おそらく12月7日に意味はないと思います。太平洋戦争の開戦日、12月8日の前日としても読んでみましたが、それはちょっと無理があるようです。意味のない日ととらえた方が、怖いです。
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