きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラカワハギ」 |
1999.12.2(木)
11月の終わりにも12月の始めにもHPを更新して、と思っていたのですが、なかなかそうもいかず今日になってしまいました。これも今日中にアップできるか怪しいものです。一日二日あとになりそうです。(実際には三日後、12/5のアップになってしまいました)
○詩誌『すてむ』15号
東京都大田区 甲田四郎氏 発行
赤とんぼ/松尾茂夫
総ガラスの明るい窓から
庭を眺めていた
赤トンボが数匹空中に停止して
その影が
大きな庭石の上に
かすかな色合いで映っている
博物館の二階ロビーで
愛煙家ふたり
窓にむかって座っていた
両切りピースの甘い香りを嗅ぎながら
ぼくはフィルター越しの
うすい煙を吸い込む
塩辛とんぼもまだ見ていないのに
もう赤とんぼか----
と彼がつぶやき
ヤンマもめったに見なくなったし
生態系が変わってきているのかも----
とぼくは応えた
促されてもちあげた棺の頭部は
拍子抜けする軽さだった
斎場から戻るクルマに乗り込もうとすると
目の前をかすめて
茂みの方へ独行する赤とんぼ
あれから一年
友人葬の遺影の前で
線香がわりの両切りピースをくゆらせたのを
ぼくはうっかり忘れていた
おそらく寺島珠雄さんのことをお書きになったのだろうと思いましたが、違うかもしれません。松尾さんは「脇街道を往く----悼・寺島珠雄」というエッセイもお書きになっていて、そこでは「この夏寺島珠雄さんが亡くなった」とありますから、この作品の「あれから一年」という表現や秋らしい季節とは違いがあります。
しかし「あれから一年」を葬儀から一年ではなく、博物館から一年とすると、寺島さんのこととして考えられます。私としてはそう解釈したいと思いますが…。
寺島さんのことはお名前、少しの作品しか知らないという程度です。しかし亡くなった伴勇さんから伺っていたこともあって、妙になつかしい気がする方です。この作品もそんな感じで拝見しましたが、両切りピースと言い、友人葬と言い、寺島さんのことだろうな、と思えてしかたありません。
追悼の詩は多くありますが、この作品のように淡々とした語り口はなかなかお目にかかれないでしょう。それだけに「彼」への思いが伝わってきて、胸が熱くなりました。
○中村英俊氏詩集『ビタミンC族』
1999.6.15 抒情文芸刊行会刊 2000円+税
みがきにしん
みがきにしんは
『磨きにしん』だと
ずっと思い込んでいた
海辺の
生きた時間というものに
磨かれて あの色
磨かれて あの艶
磨かれて あの歯応え
磨かれて 寡黙な父親の酒の肴
げに『磨きにしん』とは
味のある名前だ
と ずっとずっと思っていた
「ミガキニシン!」
すれ違いざま生徒の一人が発したのだ
振り向くこともなく
校長室に消えた背広の男は
いつも
土気色の顔にあぶらを浮かべ
煙草をスパスパ吸いながら
----子ドモ子ドモ、ト、オッシャイマスガ
ワタシタチ公務員、デスカラ。
ダレガ責任、トルノデスカ?
身が欠けて
薄っぺらい皮だけを残したような男だ
----他ニ何カ、アリマスカ?
湿気た肴を
むしゃむしゃやりながら
今夜も男の話題で持ち切り
で
そこらじゅう生臭くなる
実は私も「磨きにしん」だと思っていました。それがある時、訂正されたんですが、はて、なんだっけ? 読んでいるうちにようやく判りました。「身欠きにしん」だったんですね。
まあ、そんなことはどうでもいいんですが、中村さんの、おそらく第一詩集と思われるこの詩集、26編の中からこの作品を紹介するには理由があります。他の作品は中村さんの才気で書いたように思えますが、この作品は中村さんの職場を扱っていて、この分だけ計算が行き届いていると思うからです。
中村さんは、もちろん面識がありませんし、ある詩人から紹介されて詩集をいただいたという関係です。お住まいは私の生まれ故郷でもある北海道ですから、それだけでも親近感があります。その上、私同様に才気で書いている作品が多いので、ますます身近に感じます。それだからこそ、才気におもねる作品には気をつけました。伸びる詩人には才気にプラスして理論が必要だと思う次第です。
この作品の計算された構成には目を見張ります。「みがきにしん」を通しての「男」の表現は、シリアスではありますが、どこか滑稽さも感じて奥が深いなぁ、と思いました。他のユーモラスな作品で行くか、この路線で行くか難しいところですが、この作品が存在したということは重要です。これを根底にして幅を広げて行くんだろうなぁ、と思っています。
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