きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラカワハギ」




1999.12.23(木)

 昨年12月に亡くなった第1回日本詩人クラブ賞受賞者、小田原の木村孝さんを偲ぶ会に、新宿まで行ってきました。ご遺族を含めて50名ほどの会でしたが、いずれも故人と親しかった人ばかりですから、思い出を共有でき、いい会でした。
   kimura takashi
     故・木村孝さん
 写真は、後述する『倭寇』木村孝追悼号の表紙写真を拡大したものです。当日、会場で配布されました。また、ラジオに出演したときのテープも流され、久しぶりの木村さんのお声、お写真を見ながらの会となり、感無量でした。
 今月発行された『山脈』105号の書評で、私も木村さんについて書いています。執筆したときに思ったんですが、二度と出てこない詩人と言っていいでしょう。木村さんと少なからぬ時間をご一緒したことが、今ではいい思い出になっています。


詩誌『倭寇』31号・木村孝追悼号
   wako 31
  埼玉県和光市 鈴木敏幸氏 発行

 前出のように「木村孝を偲ぶ会」で配布されたものです。24名の方が回想記を書いています。それは紹介しきれませんので、木村さんの作品を紹介します。1993年に出版された詩集『思弁の窓』から次の作品が転載されています。ちなみに当日、会場では貞松瑩子さんによって朗読されました。

 思弁の窓X/木村 孝

かじりつきたいような空しい朝だ
完全犯罪の可能な朝でもある

聴こえてくるのは
この朝に挑戦する鳥の嗚咽

沈む未来を支える悪女の肌

逝ってしまった詩人北一平よ

 あの日、小田原の料亭『だるま』の酒には
 海が映っていた。酔って料亭を出た君は、
 突然、俺の足が大きくなってしまったと、
 私の肩を抱いて泣いた。君は、自分で他人
 の靴をまちがえて履いてしまったのだ。

女の臀部が
まあるい弧を描いている
とんびが翔んでいる

翌日きみは俺の靴を返せと言ったか………

人間は皆んな一度は死ぬのだ
そして
それはどんな名優でもリアルに
人生のタラップを降りるのだ

階段の途中にて見る百合の花

天才だけがおのれ自身の呪縛の渕に沈む

むかし見た東京湾の浦安の夕陽の美しさ

今年の私に夏は無い

 北一平さんも木村孝さんも逝って、その上、高橋渡さんまで失って、言葉で表現しなければならない身として敗北かもしれませんが、言葉がありません。ひとり書斎で、この文章を書きながら献杯するのみです。献杯。


小飼康子氏詩集『日日の旋律』
   hibi no senritu
  1999.7.24 長野日報社刊 1500円+税

 手紙(一)

秋の陽は
天空に居すわることを嫌って
西の彼方に 早々と駆け込んでいきます
額にきざまれた数多い皺 ますます深く
目尻の波に 憂いがただよい
白さを誇った肌も
貧しい輝きに喘(あえ)いでいます

----誰も振り向かなくなった時
  はじめて女の真価が問われる----

近ごろ身にしみて 感じます

残照の縁側で
手鏡を覗く私
だんだん人に向きあうことも
疎(うと)ましく思うようになるのでしょうか
せめて残照の消えぬまに
思い切り美しく輝いてみたいものです

 「----誰も振り向かなくなった時/はじめて女の真価が問われる」というのは、何も女性に限ったことではないと思います。男も同じ。若い時には気がつかなかったけど、中年も真っ最中になると、近づいてくる女性は少なくなりますね。たまに来るかと思うと宴席のコンパニオンが二次会に連れて行け、とか、クラブのママさんから遊びに来てね、の葉書が来る程度ですからね。
 そんなわけで、男も真価が問われるんです。50、60になってもまだこんなこと判らんのか、と言ったり言われたり。なかなか思うようにはいかないものです。
 「だんだん人に向きあうことも/疎ましく思うようになるのでしょうか」という作者の気持ちも判りますね。だんだん面倒になるのは事実です。休みの日は髭も剃らないし、できるだけ家の中にいるようにしています。その方が楽ですから。
 「思い切り美しく輝いてみたいものです」というフレーズにはドキリとさせられます。そう思うだけ作者の方が前向きですね。そんな気持ちも無くなっています、と書くと私より一回り上の作者に怒られそうです。


真下章氏詩集『伊呂波児坤平唐』
   irohanikonpeto
  1999.11.20 紙鳶社刊 2200円

 友やんのこと(二)

     いろはに こんぺと
     こんぺとは あした
     あしたは てんき
     てんきは たうえ
     たうえは つばめ
     つばめは すだつ
     すだちは ひとりでそっとたち

戦争がおわり
ようやく夏が祭りをとり戻すようになると
畑のトマトや
軒下の豚やにわとりまでが
キンダイカキンダイカ
といいながら友やんを追い越していった
友やんはといえば
底の抜けた籠を荒なわでからげ
下のほうには山羊のための草を少しと
馬鈴薯などを背負い
わが家との距離を行ったり来たりした

やがて村では土地改良がはじまり
トラクターや軽自動車が
友やんを追い越していった
友やんはパンクしたリヤカーに
四・五束の麦束をつんで
立ち止まってはそれらをやり過ごし
日に何度となく往復した
そのうち
若者の自家用車やパートのマイクロバスが
毎朝友やんのリヤカーを追い越すようになった
友やんは会う車ごとに頭を下げ
人形のように行ったり来たりしたが
決して走ることはなかった
ときに俄雨などが襟首をたたくと
少しばかり忙しそうにした
ほとんど普段と変りなかったのは
嫁さんに逃げられたときも同じであった

その友やんがきのう
突然 みんなを追い越して逝った
もう残された誰もがみんな
友やんに追いつくことはできないな
と思った

 全23編のすべてに「いろはに こんぺと」で始まる子供の唄が付いている詩集です。正直に言って、どの作品を紹介しようか迷いました。すべてを紹介したいくらいです。この作品も(一)があります。それも紹介した方が「友やん」がもっとよく理解できるのですが、やめました。(二)だけでも充分理解できると思ったからです。
 作者は1987年の詩集『神サマの夜』で第38回H氏賞を受賞した詩人ですから、ご存知の方も多いでしょう。この作品でも人間のとらえ方、時間の処理のし方など、教わることが多くあります。さすがです。「追い越していった」の使い方なども唸ってしまいました。ぜひ皆さんにも読んでいただきたい詩集です。今年いただいた詩集の中では、まさに第一級のものだと思います。



 
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