きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラカワハギ」




1999.12.29(水)

 増産対応の連休出勤で会社に行ってきました。私は保安部門や工事部門に所属していませんので、正月休みに出勤するなどということは非常に珍しいことなんです。20年ほど前の夏休みに宿直で出勤した覚えがありますが、それ以来でしょうか。今は宿直制度も廃止されていますから、二度とあるまいと思っていたんですけどね。
 でもまあ、この不況の中での増産ですから、喜ぶべきかもしれません。残念なのは、私が直接担当する部門ではない、ということです。私の部門なら徹夜でも正月出勤でもなんでもやりまっせ。これをセクト主義と言います(^^;;


溝口章氏詩集『'45年ノート残欠』
'45nen note zanketu
1999.12.25 土曜美術社出版販売刊 2500円+税

 浅学にして「残欠」という意味を知りませんでした。辞書で調べると一部が欠けていて不完全なこと≠ニあります。溝口さんの意識を端的に表した言葉と受け取りました。

 あちらむきに流れている

それは見なれた川の上を暫くはなつかしげにかぜにのって
舞い
いずこへか
消えうせた

鳥だって鳥になりたくなかった鳥はいるのだろう

「マリアナの七面鳥撃ち」とは
圧倒的な性能と力を誇る米軍機動部隊が
愚鈍な日本の艦上攻撃機の群に寄せたブラックユーモアらしいが

いったい日本の若者の誰が
七面鳥になりたくて空を翔んだものか
国家の仕打ちは
(いずれどちらであろうと)
こんな具合に無残なものだ

この季節
川岸にはいっせいに彼岸花が咲き並ぶ
葉がないので
何を言いたいのか
燃える赤い首ばかりが目立っている
私はそれとどこまでも平行に歩いている
私が川土手道を歩いてゆくからと言えばそれまでだが
ハナの方が頑固に川べりの方だけに咲くと言えば言えなくもない

まるで鳥になりたくなかった 鳥の
あるいは 鳥になりそこねた私の
世迷(よま)いごとめいた想いだが
目にはひとすじ光る川がずうっと

あちらむきに流れている

 溝口さんは敗戦当時、12歳だったそうです。10歳と離れていない若者たちが「七面鳥」になっていた「無残」を、「彼岸花」に重ね合わせて「あちらむきに流れている」とうたう姿に感動します。戦後50年目に書かれた作品のようですが、忘れずに表現してくれたことに、後の世代のひとりとして感謝もしています。
 詩集の中で、どの作品を紹介するかずいぶん迷いました。あれもこれもとやっていくと、一冊まるごとになりそうです。具体的な記述が多く、それを研ぎ澄まされた感性で表現なさっていて、唸ってしまう場面が多々ありました。「公報『石頭』」、「方言でさえあり得なくて」、「運行している」、「回顧という厚い壁に」、「アンテナの上の鴉」、「大人の中の九歳のカオが」などなどキリがありません。
 戦争、国家、人間とはなにかを考える上で、多感な少年期の体験を交えた語りの詩集で、一度は読んでいただきたい本です。


小川アンナ氏著『そのとき住民は』
sonotoki jyumin wa
2000.1.1 みどり美術印刷(株)出版部刊 2500円

 この本をいただいたのは12/27と記録にあります。「富士川町の住民運動私記」と副題があり、しかも400頁近い大冊。これは心して読まねばならないな、と直感が働きました。まさにその通りで、今日(12/29の日記になっていますが、この稿を書いているのは12/30)、朝の8時から夕方6時まで、延々10時間に及びました。しかし、50年に及ぶ小川さんの住民運動を考えると、むしろ少ない時間でエキスを頂戴した思いで、爽やかです。
 私自身は直接住民運動に関わった経験がないので、どれほど理解したかは心もとないんですが、得るところは多かったと思います。特に公共性と個の問題はその通りだろうし、地域エゴはあって当然と考えいます。エゴとエゴが剥き出しになって、それから初めて対話が成り立つものだと考えていました。
 住民運動については、やったこともない人間が軽々しく批評すべきではないと思いますので、その程度にしますが、私が最も感激したのは詩人でもある小川さんの次の言葉です。

 次々に環境の汚染問題が進み、文学的にいえば、無常
 について、というような命題の実体が把握されてくる。
 しかも私たちの世代ほどこの無常なるものの怖ろしさ
 に対面する時代はない。かつて自然界のサイクルが信
 じられていたからこそ滅びは一つの美であり得たのだ。

 文学と環境問題について、これほどの洞察を見たことがありません。私自身もかつて、ある月刊の新聞社に頼まれて3回ほど環境問題の連載をやったことがありましたが、そこまでの洞察はありませんでした。なにも運動したことのない者が、ただ資料を集めて頭の中だけでこねりまわした環境評論≠ェ、小川さんの著書の前ではいかに欺瞞に満ちたものだったか、恥ずかしい限りです。
 もう10年近く前になる、その環境評論≠ヘ「自然界のサイクルが信じられていた」ことを前提に書いていましたし、文学的にもそうであったと言わざるを得ません。そこを見抜けなかった自分に憤りを感じますが、この小川さんの言葉で救われたのも事実です。今日の一日は、その意味でも記念すべき日ととらえています。
 小川アンナさんというお名前はとうの昔から存じ上げていました。亡くなった町田志津子さんからは毎回『塩』をいただいておりました。実家が静岡県の御殿場地方にあることもあって、静岡県詩人会の方とも交流があります。それなのに小川さんの住民運動という側面は、今回初めて知りました。迂闊な自分に飽きれています。


小川アンナ氏評論『私の大江健三郎』
watashi no oe-kenzaburo
1999.10.4 みどり印刷株式会社 印刷 非売品

 とうとう午後11時になってしまいました。こちらも小川アンナさんからいただいたもので、今日は一日、小川さんの著書だけを読んで過ごしたことになります。心地良い疲れで満足しています。
 大江健三郎は、実はあまり良く読んでいません。今の書斎には詩書を中心に置くようにしています。小説はほとんど実家の書庫に持って行ったので定かではありませんが、『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『レインツリーを聞く女』ぐらいだと思います。『レインツリー…』に至っては大江のものだったかどうもアヤフヤです。雨の樹、のルビがレインツリーだったと思いますが…。
 この評論を読んで、先に『そのとき住民は』を読んでおいて良かったと思っています。住民運動のリーダーとしての視点があることが理解できるからです。その理解がなくても評論として通用しますが、やはりあった方が理解の深まり方が違うと思います。例えば、論の一番最後に次のような下りがあります。

 「上へ上へと伸びていく大樹のような大江文学の繁りではあるが、それが私たち庶民の方へ力としてまわってくるためには、このような高等な文化市場を経なければならないのか、読まれるためにあまりに深い教養を必要とし、その教養をもつ人びとは多く学問の人びとであって、その人びとはわれわれとの交流による活性化などの望むべくもない領域にいる。いるように思われる。その人びとの足許は私たちとの地面とつながっていない。そのような大江文学の領域から、もっとたやすく、私たちの方へその志の雫の落ちてくる方法はないのか。草の根のように地平に匍い萌え出そうとしている私たちに直接役立つ大江文学の方法というものはないであろうか。と。(「(五)その文体論を読む」部分)」

 ここには社会的な活動を一市民としての立場から活動した者にしか問えない、大江文学への疑問が提出されていると思います。私自身は70年安保に反対し、ベトナム戦争に反対した経験はありますが、地域に根ざした活動はありません。天下、国家を論じることは、それだけでは絵空事です。地域の、自分の子供を公害から守りたいという基盤を持って活動してきた小川さんに比較するのもおこがましいことと言わざるを得ませんが…。
 この小川さんの論は、おそらく1977年に書かれたものと推測します。大江健三郎が確か「核に反対する文学者の声明」のようなものに名を連ねたのはその後だったように記憶しています。そこが私には一つの救いになっています。文化勲章を蹴って、ノーベル賞を受けたことに疑問の声が揚がったのはそれほど昔のことではありません。1977年以降の大江健三郎に対して、小川さんが1999年の現在、それらをどのようにお考えになっているか、聞いてみたい気がしています。



 
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