きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.2.2(火)

どうも風邪をひいたようだ。咽喉が痛い、頭が痛い、ってんで会社はお休み。午前中は無理やり寝ていました。
今日の予定は銀座に個展を見にいくこと、日本ペンクラブの電子メディア対応研究会に出席すること。行くだけ行って、体調が悪かったら帰ってくることにして、とりあえず家を出ました。

 川崎で『パープル』という個人誌を出している高村昌憲さんの奥さんが、銀座「長谷川画廊」で個展をやる、という案内をいただいたので、行ってみました。
 絵は、まったくの素人なので批評のしようもないのですが、それでも安心して眺めることができたのは、具象ということもありましょうが、高村喜美子さんの安定した力だと思います。デッサン帖が置いてあり、それを見て感じました。子供のデッサンが主でしたが、力強く、かつ繊細。素人の私が見ても判りました。
 案内状に印刷されていた「怖い話」と題された作品は、100号で、原画の方がずっといい。怖い話を聞いている子供たちの表情が、原画ではいかにも怖そうにひきつっているけど、印刷では残念ながらそこまで表現しきれていません。
 それから驚いたのは谷戸の風景です。『パープル』で、高村さんがお住まいになっている川崎市宮前区の谷戸はすばらしいというエッセイを何度も拝見しています。なんと言っても川崎ですから、そんなに自然の残っている谷戸なんてある訳がない、と内心では思っていました。しかし谷戸の風景画を眺めているうちに、私の考えが間違いであることを認識しました。それこそ30年前の風景なんですね。高村さんは谷戸を自然を残そうと運動なさっているようですが、それは判る気がしました。

 銀座をあとに、次は赤坂。第7回電子メディア対応研究会です。明日、2/3に座長の秦さんが情報調査会に日本ペンクラブの代表として出席なさるとのことで、研究会としての意見集約を行いました。研究会は意思を統一する議決機関ではないので、それぞれの委員の考え方を秦さんがまとめて、ご自分の意見を補強するという形になりましたが、それはそれでいいことだと私は思っています。
 あらかじめ秦さんがたたき台の書面を持ってきてくれましたので、それをもとに話し合うことができました。ちょっとしたことですが、このたたき台を持ってくるというのは大事なことです。時間の節約になるし、今日はなにについて考えなければならないのかが、出席者全員の共通認識になるからです。
 まあ、それはそれで良かったのですが、ひとつだけ出席委員のおひとりと私の意見が対立した場面があります。これは大事なことなので、改めてこの場で再現しておきます。
 その委員は漢字の問題に関して、現行の常用漢字で充分であると発言していました。我々が今問題にしている、パソコンで過去の文献を調べる際、文字が表記されないというのは考え過ぎだ、過去の文献も現在の常用漢字にしてしまえばいいではないか、と言うんです。
 確かに教科書や文庫では常用漢字に統一しているものもあります。それはきちんとした目的があってやっていることで、かつ断わり書きが入っていますから、私も認めます。
 しかし、それをすべての場面に展開しろ、とおっしゃったことには反論しました。

 今の人間のものさしで過去の文献を改竄する権利は誰にもありません。過去の文献は、前出の教科書などの場合を除き、過去の文字で読むべきです。過去の文字そのものが文化だからです。これは活字の出版では行われてきました。作字という方法でどんな文字にも対応してきた歴史があります。これも文化です。
 パソコンで文字を扱うようになって、大変だから常用漢字だけににしろ、というのは本末転倒です。道具から制約を受ける謂れはありません。道具は人間の下、文化の下にあるべきです。
 仮に今の常用漢字で過去の文献を表現した場合、どういうことにになるでしょうか。過去の文献の、その時代には無かった文字で表現するわけですから、時代劇の役者に腕時計をさせてチャンバラをやらせるようなものです。こんなことは誰が考えてもおかしい。そのおかしなことを、こと文字に関してはやろうという主張は納得できません。過去の歴史への冒涜です。

 そこまで主張して納得してもらえたかどうかは判りませんが、逆の見方をすると、そういう常用漢字だけにしろという主張が出てくるのはいいことだと思っています。研究会は議決機関ではありませんから、いろいろな意見が出てきて当然です。そこで討論することに意義があると思います。
 秦さんには私の主張は判ってもらえたと思いますんで、2/3の情報調査会での話がどんなふうになったか興味津々です。次の研究会は3/1。情報調査会での報告があるはずです。



      
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