きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.2.4(木)

 どうも調子が良くない。会社まで行くには行ったが、冷や汗が流れてとても仕事どころではない。結局、今日明日とも休みにして帰ってきました。会社の付属病院に寄って、帰ってきたのが10時。それから17時まで延々と寝てしまいました。今年の風邪はクセが悪いそうです。どちら様もお気をつけください。


詩人論
『島崎藤村論』永野昌三氏
    shmazaki toson ron
  1998.12.25 土曜美術社出版販売 2500円

 昨年暮にいただいたのですが、一気に読み通せる時間がなくて、とうとう2月になってしまいました。いただいた直後に葉書で礼状だけは出しておきましたが、きちんとした感想は今になってしまい申し訳なく思っています。

 正直に言って藤村はあまり読んでいません。書棚を見ても文庫の「破戒」があるのみ。この辺にも私の底の浅さを感じる次第です。
 そうは言っても論中の「若菜集」「藤村詩集」くらいは図書館が読んでいた記憶がありますが、「六人の処女(をとめ)」に至ってはまったく覚えがありませんでした。この六人の処女についてかなり詳しく論評してあり、この論の中でも重要な位置を占めていると感じます。
 「おえふ」「おきぬ」「おさよ」「おくめ」「おつた」「おきく」という六人の、性格も出自も生き方もまったく違う処女が出てきます。明治という時代を背景とした六人ですが、昭和・平成と時代背景が変わっても彼女たち六人は同じように存在し得たろうな、と思います。それはただの頑固なのか、女性の特質として時代は関係ないのかは判りませんが、おもしろい現象だ、私は感じました。
 題名のつけ方にも教えられることがありました。「六人の処女」は明治29年12月の「文学界」に「うすごほり」という総題で掲載されたそうです。永野さんは、この題のつけ方は見事だと考えているようです。まったく関係のないような総題のつけ方だが、よく考えてみるともろいうす氷が処女のもろさを表現している訳です。うーん、なるほどね。

 この他『草枕』『逃げ水』『一葉舟』などについても論評していますが、私はむしろ「藤村遺跡見学記」という紀行文に興味を持ちました。藤村ゆかりの人たちに案内されて佐久、小諸を訪ね歩く旅ですが、生身の永野さんがよく表現されていて、藤村に興味を抱くようになる過程が判ります。この紀行文があることによって『島崎藤村論』は、永野さんの藤村論になったのではないかと思います。



      
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