きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】
1999.2.9(火)
日本ペンクラブ電子メディア対応研究会の秦恒平座長からメールをいただいた。情報処理学会に出席して、文字コードについての疑問を他の情報処理学会会員とのメールのやりとりを送ってくれたものです。詳しいことは秦さんのホームページやペンクラブのホームページに載ると思うので、そちらを見ていただきたいが、前途多難だなと思いました。
理科系の人が考える文字と、文筆家が考える文字の認識の違いがよく出ていて、大げさな言い方をすれば、歴史的な討論です。両ホームページのアドレスは、このトップページにありますので参照してください。
ここで私も格好良く、持論でもぶちまければいいんだけど、とてもとてもそんな簡単なことでは済みません。もうちょっと勉強してから発言しようと思います。ただひとつ言えるのは、両者とも喧嘩をしようとしてやっている訳ではないから、建設的です。下手をすると感情論になりかねないのですが、両者ともこの文字コードに関しては日本を代表するような立場ですから、そのあたりはわきまえているように見え、さすがだなと思います。
○詩誌『スポリア』No.4
愛知県武豊町 坂口優子氏発行
随筆「詩は飢えて」長谷賢一氏
詩の言葉は 「飢え」
である。決して答えではない。真
実は遠くにあって書き手も読み手も絶えずその言葉にのって変
化移動していかなければならない。
詩人は満腹していてはいけないのである。 (部分)
実に耳が痛い。たるみ始めた下腹をさすりながら、10年前はこうではなかったな、などと反省します。「飢え」という言葉すら死語になったのではないかと錯覚します。モノがあり余って、欲しいモノもなくて、でも、詩らしきものは書きたくて・・・。なんのために書くのか、また悩みそうですね。
「この冬に」熊崎輝日古氏
鋭い刃物で
空気を切り裂いていかないと
前に進むことができない (第二連)
鋭い、刃物のような北風には、より鋭い刃物を! と叫びたくなるような連ですね。それでも前に進む、という作者の意思が読み取れて、正に冬に対抗する詩だと思いました、、、背中にストーブを背負った書斎で(^^;
発行人の坂口優子さんがお書きになった編集後記では、早大吉村教授の成人式退場のことや、立川談志の居眠り客退場事件などを扱っています。私語も多く、居眠りもしやすい私などは困ってしまうのですが、振り返ってみると、興味をそそられる話には耳をそばだてているな、と思いました。観客のマナーも問題にしなければなりませんが、演者の努力も必要かなあ、とも思いました。「あとで試験に出るよ」ぐらいのことを吉村さんも談志さんも言えば良かったのに・・・。
○「湧彩(ゆうあい)詩誌」No.9
栃木県茂木町 湧太・釉彩氏発行
実に不思議な詩誌で、おひとりなのか、男女おふたりなのか、本当のところはよく判りません。表面上をとらえれば男女おふたりで発行なさっている、と考えるべきでしょう。
「彩釉流水紅緋皿(さいゆうりゅうすいべにひざら)」
裸体のまま窯を背に
脚と脚をひろげた
女の火口から
白金色の
炎が
俺に向かって吹きだした (第一連)
性交の場面をかなり直接的に表現した作品が多いのですが、不思議に嫌悪感が出てきません。本当にふたりで書いているんだろうか、と私が疑問に思う所以です。もし、本当にふたりだとしたら、かなり理想的なペアではないかと思います。詩の本来の鑑賞とは関係ない、と言ってしまえばそれまでですが、それは無理というものです。あっ、これは私に限ったことかもしれません。リアルな性描写についつい想像してしまうのは、私の得意とするところでして(^^;;
詩は極端な話、なにを書いてもかまわないと思います。そこに芸術性なり必然性があるか、というのが私の見方です。この詩誌は、そういう意味ではかなりキワドイと思います。嫌味な見方をすればいくらでもそう見えるし、先入観を捨て去って見ると、まったく芸術の香り高い詩誌とも読み取れます。読者の力量を問いているように思えて仕方りません。
ですから、あまたある詩誌の中でも、この詩誌は特に注意深く拝見しています。私の心理状態や健康状態でまったく印象が違ってしまうからです。もう少し読みこまないといけないかもしれません。
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