きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.3.2(火)

 昨年7月には飯岡亨さん、10月に山田今次さん、12月には木村孝さん。私にとっては少なからず影響も受けたし、かわいがってももらった詩人たちが次々と亡くなって、時々思い出しては先輩方の非凡さを偲んでいます。そんな折、西尾君子さんから詩誌をいただきました。


詩誌
『琥珀』VOL22 NO.38
    
  埼玉県大宮市 西尾君子氏 発行


 「五段の山口が初段の俺に」
  二度も『待った』をした」
 盤面に石を放り投げながら
 本当は俺の勝だったといわんばかりに
 飯岡さんは周囲に同意を求めた
 そばで熱戦中の山田さんや鈴木さんは
 ただにやにやしたまま取り合わなかった

 もちろん勝負ごとに『待った』は禁物である
 ただ飯岡さんと山田さんの訃報に接した時
 どうして僕は『待った』を
 掛けなかったのだろう!?    (山口惣司氏「待った!!」第2連、3連)

 詩人囲碁大会というのがあるそうで、ここに登場する皆さんは常連だったようです。亡くなった詩人たちへ「待った」を掛けられなかった山口さんの無念さが、平明な表現であるからこそ、よく伝わってきました。
  みんな同じ思いで死者を送ったのかと思うと、胸に突き上げてくるものがあります。

 長いようでみじかい
 みじかいようで長かった人生の果て
 さまざまな出来事をつなぐ キレギレの記憶と一緒に
 人の誰もがそうであるように
 私も死ぬ

 そのとき
 それは またあらわれるだろう

 棺(ひつぎ)に釘がうたれ はこばれて焼かれ
 壷にいれられて 私が埋(う)められるとき
 そのとき
 墓の上の空で一声啼き 雲の中へ消えていく
 アオサギ           (難波律郎氏「アオサギ」第4、5、終連)

 幼年の日に現われたアオサギが人生の終末にも現われる、という作品ですが、「私も死ぬ」という断定に驚かされました。前出の「待った!!」と合わせて考えて、なんともやりきれない思いに囚われました。
 できれば避けたいもの見たくないものを、こうやって文学は白日のもとに曝け出してきます。ほんとうに嫌なジャンルです。でも私はそこに惹かれています。



    
  [ トップページ ]  [ 3月の部屋へ戻る ]