きょうはこんな日でした 【ごまめのはぎしり】

1999.3.23(火)

 きのうは水島美津江さんの詩集『白い針ねずみ』を囲む会でした。今回は他に大きな会合があったので、こちらに来る人が少ないのじゃないか、と心配していました。30人も集まってくれればいいな、と思っていましたが、50名以上の方が出席してくれて、ホッとしています。
 午後1時から10時まで呑み続けで、我ながら体力が続いていることに感心しています。主催者の私が言うのもおかしいのですが、いい会になったと思います。なにより水島さんのご亭主が来てくれたのがうれしかったですね。気さくな方で、無理に挨拶してもらいましたが、快く受けてくれて、お話も上手でした。今回の会で一番盛り上がったんではないでしょうか。
 授賞式などでもご夫婦で出席されることが多くなってきましたが、私はいいことだと思っています。自分の奥さん、亭主がどんな連中とつき合っているかを知るのは、そのご夫婦にとってもいいでしょうし、我々にとっても家族ぐるみのつき合いのようになって、気分的に楽です。これは「山脈」で教わりました。「山脈」の合宿には奥さん、ご亭主が時々やってきます。一度顔を合わせておけば、電話の応対も違ってきます。うちの嫁さんがつき合っている連中はあいつらか、と判ってもらえると、奥様方の外出・外泊も楽になっているようです。
 この会の様子は、写真が出来あがってきたら後日再度載せる予定です。


琴 天音氏詩集『聖子宮』
   seisikyu
  1990.9.1 グループわいふ刊 1300円

 きのうの会の席上、ご本人からいただきました。琴さんは日本詩人クラブの歌姫と別名をとるほどの人です。スタジオミュージシャンとして歌っていたそうです。きのうの会でもお願いして、イタリア歌曲を歌ってもらいました。

 月いち度 自らの血を神に捧げる清き期間
 退け 去れ 不浄の男達よ
 自らの血を 清めることのない
 汝 おとこ
 女の血を浴びることなくして生まれてくることのない
 汝 おとこ と おんな     ( 「聖子宮−マリア編−」 部分)

 もう何も言えません。男としての私には太刀打ちできない部分です。まして「神に捧げる清き期間」という認識すらありませんでした。「女の血を浴びることなくして生まれてくることのない」というのは、その通りで、私が女性を尊敬する根拠でもあります。

  誰かが言っていました。生理用ナフキンがテレビで堂々と明るくコマ
 ーシャルされているけど、女達の生理痛はなくなったのだろうかと疑問
 に思っていたところ、やはり未だあるらしいと。 ( 「ナフキン」 終連)

 これは私も思いました。私たちの中学生、高校生の頃は、「生理」なんて言葉は女性は絶対言わなかったし、男どもも男子のたしなみとして口にすべきではないと思っていました。ところが成人してしばらくすると、テレビでやるようになったんですね。最初は驚きましたよ。顔を真っ赤にしてチャンネルを変えた覚えがあります。今はどうってことなくなりましたけどね。
 で、こんな作品もありました。

 謎謎

たった一回の天国を味わう為に
数十回の地獄を我慢して
美味しいケーキ一口の為に
糧となるパンを犠牲にして
ない方が楽に生きていけるのに
失うのが惜しいような気がして
知ることがなければ
我身の不自由気付かされることのないもの
なあーんだ?

 これって「子ども」ですかね?
 なんか、今回は女性のエラサばかりを見せつけられた詩集でした。



  
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