きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】

1999.4.5(月)

 月曜日は会議の集中日です。午前中に3つ、午後ひとつの会議があって、その他に突発の打ち合わせがふたつほどあり、やれやれと思って帰宅すると「明日の朝、6時に会社に来てくれ」という電話。ここのところ変則勤務が少なくて、ホッとしていたんですがね。
 あわてて酒呑んで、寝る準備をしています。酒呑みながら2、3のいただいた詩誌・雑誌を読んで、ここにアップしようとしているところです。


詩誌『黒豹』90号
    kurohyo 90
  千葉県館山市 諌川正臣氏 発行

 なだらかに延びる岬は照葉樹の丘陵
 湾はさながら大きな器のよう
 寒中とて晴れた日には陽光たっぷり

 天守閣から流れてくる早春賦
 淡い航跡をのこして船が一隻出て行ったきり
 彼はいったい何を見ているのだろうか
 乳母車に子を寝かせた彼女はなにを眺めているのか
           ( 諌川正臣氏「春の器」第4・5連)

 南房総・館山の「里見の城山」という所に登っての作品です。「彼」とは、そこのベンチにいる「初老の男性」を指します。
 房総は私も好きな所で、何度か訪れています。特に冬がいいですね。この作品も初春のようですが、房総の暖かな、のんびりとした風景を伝えてくれていて、なにか、ほんわかとしたものを感じました。

 ★私はきちんとした楷書が書けない書家の書や、人間のデッサンがまともに描けない画家の抽象画は信用しないことにしています。それでも美術は線や色彩で構成されているので感覚的にいいものはいいと感じることが出来ます。しかし詩は意味を持った言語で表現するのですから、特定の人や仲間にだけしか通用しないのでは芸術としての普遍性を喪失しているものと言えるでしょう。

 これも諌川正臣さんの文章ですが、「編集後記」の一節です。「きちんとした楷書が書けない書家」という言葉は痛烈ですね。これと同じことが詩人にも言える、と諌川さんは主張している訳で、同感です。ただ、具体的にこの詩のここがそう、とやらなければいけないような気がします。他人の作品を例にして、それをやると角がたつんですけど、工夫してやってみたいと私も思っています。あっ、そうすると真っ先に「村山精二のここがそう」と言われそうですね ( ^ ^ ; ;

 さて、もう一冊と思ったんですが時間が来てしまいました。ここのところいただいた本は、あと6冊残っています。明日以降ボツボツと紹介していくつもりです。



  
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