きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.5.16(日)
横浜・能見台の寿司屋に行ってきました。2月に『山脈』創刊同人の由利浩を偲ぶ会というのをやったんですけど、未亡人が幹事を招待するとのことで、出かけていきました。
料理はうまいし酒もうまい、言うことなし、でした。しかし、ちょっと考えちゃいましたね。同人同士ならそんな招待は断わるんですが、同人じゃないので受けてしまいました。散財させてしまったろうなと思います。ご主人を亡くしてそれでなくても大変なのに、いらぬ気まで使ってもらったみたいで・・・。
難しいところです。好意は好意として受けますが、寿司屋まで連れて行ってもらうのはちょっと好意に甘えすぎかなあ。
○詩誌『RIVIERE』44号
大阪府堺市 横田英子氏 発行
生きていくということは誰かを犠牲にし、知らず知らずのうちに誰かに導かられていることなのかもしれません。
るいるいと光るのは
行き着けず落下していった
鳥たちの羽だ 骨だ
陽の光を浴びて
後に続く群れを導いている (横田英子氏「私の祭り」第4連)
先達の残した光を目当てに、どうやらこうやらモノを書いて、自己満足に過ぎないのかもしれませんが、後進の目印になる骨を残せればと祈らずにはいられません。そのときが「私の祭り」と横田さんは説きます。私もそう思います。
なんか、突然シリアスな話になってしまいましたが、今号の『RIVIERE』はそんな感じの作品が多いように思います。
『ねばならない』とか
『だ』とか
義務感や理想の
なんと先行した人生であったことよ
他人のすることは他人のすることとして許せても
自分のことになると許せない
それでいて完璧ではなく 無能力で
矛盾だらけの人生を送ってきたことよ
意識のある自分に耐えられなくて
意識を無くすまで深酒を重ねてきた (石村勇二氏「自分を許すことから」第1連)
この作品も痛いほど判ります。特に「意識を無くすまで深酒を重ねて」というのは、そっくりそのまま私の生活ですね。酒呑まないと朝まで起きちゃうんですよね。それじゃあ次の日の仕事ができないから睡眠薬代りに酒を呑む、酒に段々強くなって酒量が上がる、というお決まりの悪いサイリルに入っちゃいました。
眠れないというのは、どこか精神的に病んでいるだろうと自分でも思います。まあ、それが自分の個性なんだろうからあまり気にしないようにはしていますけど。それと基本的には酒に弱い体質だったんで助かりました。ある量が来ると呑めなくなります。
毎号のことですけど石村さんの作品を拝見すると、ああ、同じようなことで悩んでいる人がここにもいる、と思います。同病相憐れむじゃありませんが、勝手に連帯感のようなものを感じて、ホッとしています。石村さんには迷惑なことかもしれませんが・・・。
その他、今号は安心院祐一さんという同人の第一詩集の特集になっています。まだ26歳という若い方のようですが、あたたかい仲間に囲まれて、なんて幸せな人なんだろうと思います。生涯の仲間になりますから、お互い大事にしてあげてください。
26歳!?『RIVIERE』の人たちと知り合ったのは30年近く前だから、そのときにはまだ生まれていなかったんだ!
[ トップページ ] [ 5月の部屋へ戻る ]