きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.5.24(月)

 日本詩人クラブでは、創設50年を記念して2000年3月に『日本の詩100年』と題する本を出版しようとしています。私も実行委員になった関係で、詩人や詩誌について6つの原稿を書くことになっています。ひとつ600字ですから、原稿の量としてはたいしたことはありません。しかし、なにせ100年前のことから書いているわけですから、資料調べが大変です。インターネットを駆使して、と思って調べていますが、さすがに情報は少ないです。
 2つは仕上げたので、あと4つ。〆切は今月末。しばらくこのHPの更新がないな、と感じたら、原稿を夢中で書いているなと思ってください。


詩誌『アル』19号
   aru 19
  神奈川県横浜市 西村富枝氏 発行

 5/22の『山脈』編集会議は、西村さんのお勤めになっている図書館を使わさせてもらいました。その席でいただきました。女性だけ6人の詩誌です。

 謎T/荒木三千代氏

書道番組を見ようと
巻き戻す
筆に墨が吸い込まれ
白紙

 これは思いきり笑ってしまいました。いいですね、こういう発想は大好きです。まさに逆転の発想です。下手に「ビデオ」なんて言葉も入らなくて、作者の力量が判ります。

 ひばりが
 一直線に降下した
 麦畑のそのあたりを
 しのび足で探してもけっして
 見つけることができなかった住処は
 敵から守るための智恵で
 着地の場所とは離れていたのだったことを知ったのは
 その後のことであったが    (西村富枝氏「消える」第一連)

 今号は特集「鳥」ということで、同人の皆さんがそれにまつわる作品を発表しています。その中で私はこの「消える」に注目しました。平易な表現の中に、ひばりの生態と子どもだった作者の好奇心とが見事に調和しています。のどかな中にも生存について考えさせられる作品になっていると思います。その緊張感がなんとも言えませんね。


詩誌『さよん』10号
   sayon 10
  神奈川県平塚市 冨田民人氏 発行

 『山脈』同人でもある富田さんに、5/22の山脈例会でいただきました。気になったのは、最後の頁に「終刊」とあったことです。この号で解散するのかな? 部外者の目で見ると、結構な書き手が集まっているように見えるんですけどね。

 青ぶどう/李陸史(イ ユ
サ・1905〜1944)訳・なべくらますみ

私のふるさとの七月は
青いぶどうが色づく季節

この村の言い伝えがたわわに実り
遠い空を夢見ようと 粒ごとに溶け込み

空の下 青い海が胸を開き
白い帆の舟がゆるやかに寄って来ると

私が待ち望む人は 疲れた体に
青袍(チョンポ)を着て訪ねて来ると言ったから

お客さんを迎え このぶどうを摘んで食べるなら
両手がすっかり濡れてもかまわない

子供よ 私たちの食卓には銀の盆に
真っ白な麻の手ふきを備えておくれ

 この作品の完成度の高さもさることながら、実は作者の名前に驚いています。解説には次のようにありました。

 「イ ユ
サは筆名であり、漢字の陸史は大陸の歴史を担う意味を持ち、読みとしては二六四(イユクサ)となる。日本の官憲に捕らえられたときの獄中番号である。
  独立運動、民族運動のために度々獄中に送られ、四〇歳で獄死した彼の詩は少ない。」

 自分のペンネームを獄中番号に由来させるというのは、日本人ではおそらく考えつかないでしょう。終戦前に亡くなっていますので、時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、私には時代を超えた民族の心底からの怒りを感じます。加害者側の日本人である私には、なんとも言いようのない作品です。
 ただ、現在に生きている私としては、このような形で紹介するしかないと思っています。それがせめてもの日本民族としての謝罪だと思います。このような謝罪の方法については、後世の判断に委ねるしかありません。
 まあ、それはそれとして、同じ詩を書く仲間として李氏を見た場合、「この村の言い伝えがたわわに実り」、「青い海が胸を開き」などのフレーズは、時代を超えた普遍性を感じます。



 
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