きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.6.8(火)

 ヤクルト高木を崩した! ふーっ。ノーヒット・ノーランでやられるかと思って、半分あきらめて観ていました。川村のねばりのピッチングが勝利をもたらしたと言ってもいいかもしれませんね。横浜−ヤクルト戦、逆転で2:1。佐々木も調子良かったし、こういう締った試合を観るとスッキリします。


季刊詩誌『裸人』6号
   rajin 6
  千葉県佐原市 五喜田正巳 発行

 6/4の日本詩人クラブ理事会で、五喜田理事よりいただきました。当初は五喜田さん以外は女性、しかも関東の有力な女性詩人を網羅
したような、うらやましい詩誌でした。最近はもうおひとり男性が入会なさっていますが、それでも女性は7人もいるという状態です。
五喜田さんはやさしいから女性が集まるのかなあ。

 バリは雨期だったから
 午後一時には約束のように雨が降る
 やわらかな明るい雨

 すみさちこさんの「バリ紀行」はこのように始まります。そして、

 椰子の木の長いしなりに揺れるつがいの鳩
 降り止んで充血した夕暮の空に
 あま燕の群れが飛びかう   (同三連・部分)

 「明るい雨」と「充血した夕暮」との見事な対比。思わずうなってしまいました。椰子の木もつがいの鳩も、あま燕も、情景がパアーっと眼に浮かんできて、行ったこともないバリの風景を楽しんでしまいました。
 こういう人たちがこの詩誌を作っているんですよ、なんともうらやましい限りです。
 取り上げたい作品がいっぱい詰まっていますが、長くなるのでやめます。でもこれは読んでほしい。

 「私だけかも知れませんが、春になると詩を書くのに苦労をします。たしかに、会や団体の総会が集中するなど、外野的な様相もあるでしょうが、詩人の活動と季節がどこかでしっくりいっていない、などということはないでしょうか。人の体の中には月が宿っているように、気象の定まらぬ春こそ、人のなずきを狂わす宇宙の指令を思うのです。このような存在の不思議に詩はどう関わるべきでしょうか。私のテーマになりそうです。」(五喜田正巳氏「後記」全文)

 「なずき」って判りますか? 広辞苑で調べたら脳のことだそうです。古称と書いてありましたから、短歌などで使うことばかもし
れません。しかしおだやかないい言葉ですね。
 この「なずき」があるせいか、文章が落ち着いていて、やさしくて、でも、とんでもないことをズバッと言っていて、五喜田さんの慕われる秘密を見た思いです。


渡邉基弘氏詩集『望郷』
   boukyo
  1999.6.10 書肆芳芬舎刊 1500円

 こちらも6/4の理事会で中原道夫理事よりいただきました。日本詩人クラブの会員に推薦したい方のようです。

 あこがれ

牧場のような木柵に
りょうらんとコスモスが咲いていた

一等も二等もない
山峡の駅(ステーション)
みんな無表情な顔をして
黝(くす)んだ掛時計を眺めていた

時折 鈍い制動汽笛をならしながら
上りの列車が入ってくる
崖(きりぎし)にかげをおとして----

降りる客もすくなく
駅員もくったくなく
出入の汽車を見送っている

そうして私は
木柵に足をかけ
くる日も
くる日も
あてもなく何かを待っていた

 中原道夫さんの跋には「抒情詩の正道を歩いてきた詩人」とありましたが、まさにその通りだと思います。良質な抒情を感じます。おそらく戦前の、昭和初期の風景だと思います。私の時代にはさすがに「一等も二等も」ありませんでしたが、情景はよく覚えています。木柵に足をかけて、「何かを待っていた」ことも。
 もっといい作品「余韻」がありますが、中原さんに跋の中で使われてしまいましたから、ここでは避けます。もしこの詩集を入手できるようでしたら、ぜひ読んでみてください。渡邉基弘という詩人を理解する一級の作品です。



 
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