きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.6.20(日)
きのうは横浜詩人会の現代詩セミナーが行われました。会場の「横浜ウィンズ」という所に行ってみましたが、すごかったですね、人が。
「横浜ウィンズ」というのは、半分が競馬の馬券売り場で、あと半分が市の会議室などが設けられているんですね。迷ったついでに馬券売り場も覗いてきましたけど、1階から5階までひと、人、ヒト。それもみんな真剣な顔つきで新聞を見たり、テレビの中継を見たりしていました。正直なところ、あれだけの人間が全員、真剣な顔つきになるなんて風景は、生まれてこのかた見たことがありません。すごいですね、感心しました(会社の仕事でもあんな顔してみろヨ)。
まあ、それはそれとして、お目当ての現代詩セミナーは順調に終了しました。私はあまり順調じゃなかったですけどね。アガッてしまいました。講演の前座として、5人でショートトークと詩の朗読をやったんです。私は5人目で、会場に入った時から緊張していました。持ち時間は5〜8分ということですから、そんなにたいしたことじゃなかったんですが、アガりました。最初から最後まで声が震えっぱなし。
たまにこんなことがあります。根は小心者なんです(^^; こういうときは隠しだてしないで、そのままにしておきます。聞いている人は聞きづらかったでしょうが、まあ、勘弁してください。こういう面もあるということで。
講演:細野豊氏
日本詩人クラブの会員でもある細野豊さんが『「混血」と「シュールレアリスム」の国
メキシコの詩人:オクタビオ・パス』と題して講演してくれました。こちらの方は大成功。ノーベル賞詩人のパスとは何度かお合いになっているそうで、ナマのパスの話や、朗読テープを聞くことができました。メキシコという国の成り立ちに起因する国民性、文化も解説してもらい、非常に勉強になりました。特にスペイン支配の影響を今だに持ち続けているという指摘は、考えさせられます。
懇親会も楽しかったし、その後の二次会は篠原あやさんに奢ってもらって、こちらも楽しかったです。これがあるから詩人の集まりは出ていきたくなるんでしょうね。ただの呑ン兵じゃあねえか、という声も聞こえてきますが(^^;
○中正敏氏詩集『デュラハンの誘い』
1999.6.15 詩学社刊
2週間ほど前にいただいていたのに、やっときょう読むことができました。硬質ないい詩集です。
腸のガンを切りとって帰った家の近く
人工のせせらぎが雨のなかで
きらめいている
水が生きている
かすかな小波(さざなみ)の震えに
じぶんは生きている生かされているのだと
一瞬、気づいて生きているのに驚く (「雨の軽子坂」第1、2連)
見事な導入部だと思います。「生きて」「生かされて」という畳みかけが奏効しています。このあとに展開が予想され、読者はスーッと次の行へ視線を移動します。
町を歩いてみたくなる
おどろきを懐に
雨の軽子坂をゆっくりと昇ってゆく (同・第3連)
そして軽子坂の謂れを標柱で読みます。思いは自身の腸を内視鏡で見た場面へと遡り、蝸牛のようでも構わないから、この坂をゆっくり昇ることを決意します。終連は次のようになります。
老齢は壮麗に昇る----
といった詩人がいたではないか
雨のなかをいま
傘をさした蝸牛だとしても…… (同・第12連)
ここで「詩人」とはホイットマンのことだそうです。全文を引用しないと判り難いかもしれませんが、ご自身のガンと軽子坂との関連をうまくつないで、奥の深い作品になっています。こういう硬質で質の高い詩集に出合うと、感心させられます。なにかホッとした気分になり、私自身の質を問い質したくなります。
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