きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.6.21(月)

 詩集の発送でふうふう言っています。まとめて発送する時間がとれないので、毎日5冊・10冊と送っています。詩集が出来あがってきてからそろそろ1カ月になろうとするのに、ようやく300部近くまできた程度です。あと100〜200冊送れば、義理は欠かないだろうと踏んでいます。このHPをご覧の方で、まだ届いていない人も多いと思います。もうしばらくお待ちください。えっ!? 誰も待っていないって! 失礼しました(^^;;
 言葉を換えます。勝手に送りつけますから、ご笑覧ください。市販のルートに乗れない無名詩人には、お読みくださる人はみな、カミサマです。義理固く礼状までくれる人が多いのですが、そこまで望んでいません。お読みくださるだけで光栄です。


詩の雑誌『鮫』78号
   same 78
  東京都千代田区<鮫の会> 芳賀章内氏発行

 すっきりした机の空虚を愛せない
 机はその上にあるものでしか表せないのだ

 プリント一枚一枚が日々重なって
 捨てることが怖くて
 机から溢れて流れ出てしまうほどだ (松浦成友氏「机というもの」第5、6連)

 まことに失礼ながら、思わず笑ってしまいました。身に覚えがありますねえ。私の机の上は比較的きれいな方だと思っています。しかしそれでも週に一、二度は書類で埋もれてしまいます。一日掛かりで書類の整理に追われることがあるんですが、そのとき一番問題になるのが「捨てることが怖くて」なんですね。松浦さんがお書きになりたい気持ちを痛いほど理解します。
 会社の仕事も、最近はEメールの普及でずいぶん楽になりました。でも、それでもやっぱり最終は紙の書類がモノを言います。捨てる書類と捨てられない書類、この分別をきちんとできる奴が優秀な社員なんだろうと思います。私? 駄目ですね。記憶の底を引っかきまわして、あとははったりで仕事してます(^^;;

 「当時とははなはだ時代が違い、世界の情勢がなだれ込んでくるし、たちまちのうちに言論も統一されることはないが、ガイドラインの問題や憲法問題、さらにいえば国歌・国旗の強要をみていると、何やら空おそろしい思いがしている。世界から流れ込んでくる不条理の情報は、個の力ではどうにもならないものだと思い込ませるのに十分な迫力を持っている。が、絶望にも無関心にもならず、つねに言いつづける場を、個の内部に作り上げることを、あきれはてるぐらい当然のこととして求めつづけることが要求されてしかるべきだろう。」 (芳賀章内氏「編集後記」部分)

 芳賀さんとは時々お会いして呑む機会があります。私は芳賀さんというキャラクターが大好きなんですが、酔った勢いもあって議論の応酬になる場面が多々あります。仲間たちはそれを肴にニタニタと呑んでいます。議論は、詩の考え方とか作り方とか、あまりたいしたことではありません。しかし、珍しいことですが、私はかなりムキになります。
 なぜムキになるのか、自分でもよく判りませんでした。ようやくその理由が判りました。芳賀さんも私も考え方が似ているんですね。この「編集後記」を見て、それが判りました。まったく同じことを考えています。発言することが大事だと、私も思っています。政治的には敗北になるかもしれません。しかしモノ書きの真骨頂は発言することです。成功しようが敗北しようが、発言しなければモノ書きとしての存在価値がありません。結果としてその発言が有効か無効かは、後世に委ねるべきだと私は思っています。
 こうもはっきりと私の思いを「編集後記」で書かれたのでは、立つ瀬がありませんが、まあ、それはそれでヨシとしましょう。これ以上のことを私が発言するしかありませんね。また一緒に呑む機会が近々ありそうです。それまでになんとか、ギャフンと言わせることを考えなければ(^^;



 
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