きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.6.23(水)

 ちょっと大味ですが、横浜ベイスターズが勝っている試合を見ているというのは気分がいいものです(^^; 阪神ファンの皆さん、ごめんなさい。でも、まだ5割いかないもんなあ。早く借金を返してほしいものです。あらあら、川村がまたホームランを打たれた。9−4。島田の救援で勝てました。
 テレビを見ながら嫌なことをやっていました。会社の仕事です。会社から自宅に仕事をE-Mailで送って、野球を見ながら、です。確かに便利になって、これじゃあ在宅勤務も可能ですね。仕上がった仕事を逆に会社に送って、知らん顔して明日は続きができます。でも、あんまりこんなことやりたくないですね。


鬼の会会報『鬼』326号
   oni 326
  奈良県奈良市 中村光行氏 発行

 鬼博士中村光行さんの博識にはいつも驚かされています。今号もその通りで、てるてる坊主や僧侶の肉食禁止がいつ、なぜ始まったかなど、身の回りのことでも知らないことを知らされます。
 僧侶の肉食禁止なんか、そんなの昔からだし当たり前だろ、などと思ってしまうんですが、違うんですね。天武天皇の勅命から始まったそうですから、1300年ほど前からでしょうか。「天武天皇は仏教の殺生戒の本意をくみ取り、僧の肉食を禁じた」のが始まりなんだそうです。それまでは禁じられていなかったようですよ。知らなかったなあ。今は禁じられていないんでしょうね。
 もの識りだけでなく、考え方も勉強になります。「いじめ好き」という文があり、ここではお地蔵さんを縄で縛って、願いが叶うと縄をとくという風習を紹介しています。そう言えば聞いたことがあります。選挙の達磨にも触れていて、片目しか入れないのはいじめではないかと説きます。「どうやら日本人は自分勝手で、願いのためならと地蔵や、達磨までいじめたらしい」という指摘は考えさせられます。ましてお地蔵さんをサラ金のCMに使うとは。


詩と評論誌『人間』132号
   
  奈良県奈良市 中村光行氏 発行

 このホームページでは初めての紹介になりますが、こちらも中村光行さんの発行です。

 仰むけに寝転んだまま/中井ひさ子

地上の音を飲みこみながら
大きな雲がゆっくり動いていく

私は仰むけに寝転んだまま
窓から外へ出る

空はいつものように
やわらかい

下をむくと落ちるから
仰むけに寝転んだまま
雲と流れる

一羽のからすが
じろりと横目で見て
追いこしていく

人間だって
そらを飛ぼうと思えば飛べるのさ
にゃりとしながら
手を振ってやる

ちらりと振り返り
からすがつぶやいた

「あいつはまだ
自分を
人間だと思っている」

 私の感覚と非常に近くて驚いています。第一連、最終連などは正にそうです。でも、私と決定的に違うのは第四連です。「下をむくと落ちるから」という感覚はありませんでしたね。そしてここが存在感があって、とてもいい。下さえ向かなければ飛べるんだ、というのは説得力もあるし、してやられた、という思いです。

 エッセイですが光行さんの「高橋新吉のこと=死んでいるのだ」も面白いエッセイです。あまり詳しく書かないことにしますが、知られている新吉さんとは違った面を題材にしていて、参考になります。この『人間』に寄稿された新吉さんの原稿を、光行さんの判断で掲載しないことがあったんですね。新吉研究には新しい面かもしれませんよ。
 光行さんの後書「あとの祭り記(あとがき改題)」も考えされられます。「詩が芸術であり得るのは、身辺の猥雑の向こうを描くからだ」という指摘は、耳に痛いです。私自身も身辺雑記に終始してしまうという怖れを常に持っています。だが「身辺の猥雑の向こう」が見えない。あるいは見ようともしていないのかもしれません。そこを突き破るかどうかで、本物の人間(あえて「詩人」とは表現しません)になれるかどうかが決まるんだろうと感じます。

 結局、そんなことを考えること自体がおかしいのかな、とも思います。ピッチャーが崩れるのは、あと一回、あとひとり、と変な欲を出した時のように思えてなりません。簡単に「無心の境地」などと言いますが、もう一度かみしめる必要が、私にはありそうです。



 
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