きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.6.26(土)

 私の所属する同人誌『山脈』の月例会を横浜で行いました。会場は野毛の北海道料理「今福」です。そこにコン太という犬がいて、先月亡くなったことは5/23の頁で書いた通りです。きちんと葬式もやってもらっていて驚いたんですが、きょうはさらに驚くことがありました。


愛犬「コン太」評伝『すごい奴』
   konta
  1999.6中旬 畠山昭治氏編 非売品

 なんと、コン太の追悼文集です。コン太の一生の写真、思い出、近所の人たちや家族の追悼文でいっぱいです。5/23に私が書いた文章も転載されていましたし、筧さんの「介護について」という詩も抜粋されていました。ここまでやってもらえる犬なんて、そうそういるもんじゃありませんよ。ほんとうにコン太は幸せな犬だったな、と思います。
 読んでみて、弔問客が100人を越えたというのも驚きです。どこの世界にそんなことがあるでしょうか。コン太の性格の良さもあったでしょうが、「今福」というお店の良さがそうさせたんだろうと思います。あるいはよそ者の私には計り知れませんが、野毛地区の良さが土台にあるのかもしれません。野毛の何処で呑んでいても、嫌な思いをしたことがありません。特に古くからやっている店は、いつでも安心して入れます。そんな土壌に「今福」もコン太もあるんだと、勝手に思い込んでいます。

 さて、それではいつものパターンに戻りましょう。いただいた本が溜まっています。お礼を書くのが遅くなって、申し訳なく思っています。


我妻洋氏詩集『流域』
   ryuiki
  1997.12.1 詩歌文学刊行会刊 1800円+税

 すれすれ

成さん あいかわらず強いなや
と言われて肯定も否定もせず
にこにこして注がれるままに
盃を乾している。
周囲の会話に加わるでもなく
自若として呑んでいる。
ときどき笑みのこぼれる顔は
日焼けして輝いている。
からだつきはむしろ華奢だ。
成さん もっとのめや。
と言われてそのまま盃を差し出している。
一座の話ははずんでくる。
その人は黙ったまま
盃を口に運んだり漬物に手を出したり
煙草を吸ったりしている。
そのうち座が乱れてきて
その人に誰もかまいつけなくなった。
その人は今度は手酌で呑んでいる。
ざわめく酒宴をよそに
その人の頭上には
静かに明かりがともっている。

 いますね、こういう人。酒の席ではついはしゃいでしまう私なぞは、うらやましくなります。なんと言うか、渋いと言うか、男らしいと言うか、つい憧れてしまいます。
 しかし、この作品は実は非常に難しい。タイトルの「すれすれ」からしてそうです。広辞苑では「摩摩・擦擦」とありました。「@殆どふれ合うほどに、近づくさま。きわどいさま」。これは判ります。もうひとつ「A互いに仲のわるいさま」というのもあります。意味としてはこちらの方が近いかな? にこにこして酒を呑んでいるいるけど、実はAの「すれすれ」なんだと。
 でも「その人の頭上には/静かに明かりがともっている。」となると違うようにも思えます。うーん、難しい、気になる。まあ、詩作品ですから、そう厳密に言葉の意味だけを捉える必要はないのかもしれません。まだまだ詩の奥深さが判っていないんだな、と自分の浅学を悟らされました。


安川登紀子氏詩集『緑よ 緑』
   midoriyo midori
  1999.3.31 詩学社刊 2200円+税

 心の傷口に
 言葉を貼ろうと思う
 ばんそうこう のように

 これは ばかにされた傷口
 これは 無視された傷口
 これは 他人(ひと)を傷つけてしまった傷口
 ……というふうに

 いつの日にか
 きっと回復する

 けれど
 えぐりとられた傷口

 こればかりは
 ばんそうこうでは
 無理だ

 言葉は
 どうするのだろう

 タイトルはついていませんが扉にあった作品です。この詩集の真髄を表現しているように思い、全文を紹介します。
 その通りですね。切創はふさいでおけば治るけど、肉までえぐりとられた傷というのはなかなか治りませんね。私の体も傷だらけです。えぐりとられた傷は、20年たっても今だに残っています。ほとんどの傷が遊びで付けたものですから、それを見るたび楽しくはありますが。
 心の傷は無数にあります。これは楽しくはありませんね。言葉で、作品で癒すしかないのかな、と思います。安川さんの他の作品を拝見すると、心の傷を癒す作品が多いのに気づきます。ああ、この人も言葉で救われたんだな、と思い安堵しています。その時期を通り越して、さらに飛躍するのを願ってやみません。


文芸同人誌『時間と空間』43号
   jikan to kukan
  東京都小金井市 北岡善寿氏編集

 このHPでは初めての紹介になりますが、詩・小説・エッセイ・評論と、まさに総合文芸の名にふさわしい同人誌です。この中で、編集代表の北岡善寿氏と発行人の上田周二氏が、木村孝氏について触れています。木村さんは昨年12月に亡くなった小田原の詩人で、第一回日本詩人クラブ賞の受賞者でもあります。
 小田原は私の現住所の隣でもありますから、そんな関係もあって木村さんとは懇意にさせてもらっていました。もちろん葬儀にも出させてもらっています。
 その木村さんについて北岡さん、上田さんが追悼文をお書きになっていて、お二人の木村さんへの友情をうらやましく思いました。私が木村さんと知り合ったのは20年ほど前です。当然お二人はそれ以前からのお付き合いですから、木村さんの古い作品もご存知です。その一部が紹介されています。これは参考になりました。
 特に1978年頃に『時間と空間』に寄稿した散文詩は、木村さんの本質を表しているようで、初見ということもありますが、改めて木村さんの大きさを知らされた思いです。
 豪傑木村孝さんを偲んで、いつも口癖のように言っていた言葉を記して、改めて哀悼の意を表します。

 「死ぬほど呑もう!」



 
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