きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.6.27(日)
きょうはなんにもない日曜日、と思っていたらお通夜が入ってしまいました。94歳で亡くなったおばあさんですし、ほとんど合ったこともない人ですから、まあ、義理を通すだけですみました。礼状に入っていた赤い糸のついた5円玉が印象的です。まだそういう風習が残っていたんですね。
○個人誌『等深線』2号
横浜市旭区 中島悦子氏 発行
6/19の横浜詩人会現代詩セミナーで中島悦子さんよりいただきました。毎年一回、2/14に発行しているようです。A4一枚を三つ折りにして、裏表を使ったシンプルな個人誌です。
三雲遺蹟から出土された甕の
口縁部には
どうしても「口」としか読めない記号と
「牙」みたいな記号とが
あどけなく上下に書かれていたが
甕の中には
噛み切れないどんな物がつまっていたかは
特に記事になっていなかった (「判読」第3連)
うん、確かに甕の中の物が公表されている例は少ないようですね。ほとんど腐って無くなったんでしょう。稀に米なんかが入っていることもあるようですが。
作者のこの視点に注目しました。出土する甕には、我々は無意識に「なにも入っていない」と思い込んでいるのかもしれません。しかし、甕ですから、本来は何かを入れていたはずです。それはなんだったんだろう、という作者の眼に新鮮な驚きを感じました。
○個人誌『等深線』3号
横浜市旭区 中島悦子氏 発行
こちらは1999年版です。ちょっと長いですが、次の詩を引用します。
俺はバスを正確に走らす
しかしある夕暮れに
髪の毛の逆立った男を乗せた
そいつは
俺に聞いた
殺人罪って戸籍に載るのかな
人を殺しても
戸籍はきれいなままなんだよな
俺は答えなかった
一億の白黒の戸籍を
無傷のままに想像しながら
運転だけを続けた
その殺人は
歴史に残らない
ことがすでに分かっている
男が駆け降りてきた
植え込みに今死体が転がっていても
俺は感情でバスを運転したことはない
どんな平和な時も
つぎの停留所に
どうしても遅れたくない (「叙事詩のために」第5〜終連)
ただバスを運転することだけを考えたい男。それが「叙事詩」となる、と作者は訴えているようです。私もそう思います。感情をなるべく表さず、起きた現象だけを淡々と述べていく。実はそんな中にこそ本物の詩があるのかもしれません。人間はひとりひとりが本質的には詩人なんだろうと思います。だから何をやっても詩になる。殺人者もバスの運転手も、彼らの行動そのものが詩なんだ、と思います。
○月刊詩誌『柵』151号
大阪府能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行
中村不二夫さんがエッセイ「詩人の肩書と経歴」で、おもしろいことを書いています。詩集などの奥付にはぜひ略歴を書いてくれ、と言うんです。その人の作品を理解する上や評論などを書く上で参考になる、というのがその理由です。出版記念会などでもスピーチする人の略歴も紹介しろ、と書いています。
そして名刺に肩書を入れないのは、自分のことはみんな知っている、という思い上がりではないか、と説きます。自己宣伝と揚げ足をとられかねないけど、奥付にはできるだけ丁寧に略歴を書いてほしい、と願っています。
うーん、これは私にも覚えがあります。たまたま日本詩人クラブの会員名簿の電子化を担当しています。会員のことを出版社などから問い合わせがあった場合すぐ対応できること、不幸にして会員が死亡したときに略歴をすぐ報道機関に知らせることができること、などが主な目的です。
基本的には入会申込書を元にします。しかし20年、30年と会員である期間が長くなると情報は古くなります。そこで私が活用しているのは、著作の略歴だったり、いただいた名刺の肩書だったりするわけです。これは当然その人の批評などにも役立ちます。
確かに自己宣伝と自己紹介の線引きは難しいですね。でも、モノ書きだったらその辺の区別は判るはず、というのが私の思いです。その区別が出来ないようでは、モノ書きとしては失格なんでしょうね。
従って、中村さんの意見には全面的に賛成。皆さん、嫌味にならず、恥ずかしがらずに略歴を紹介してください。
○個人誌『パープル』13号
川崎市宮前区 高村昌憲氏 発行
新しい詩の形としての四行詩を提唱している高村さんの個人誌です。四行二連(八行)詩対象の「パープル賞」も設立しています。
○ 一年から永遠へ
蛍の一生に訪れる季節は 一度だけ
蛍が永遠であるために必要なのは愛
メスの蛍と オスの蛍が出会う世界
一頭の蛍が知っている季節は命がけ
蛍の一生に大切なのは 大気と水と土
そして愛と未来を語るための わずかな光
言葉も清楚に退く 美しい大気と水と土 (「蛍の一生」部分)
このような形で四行詩が続けられていきます。詩に一定の定型を与えることによって現代詩の可能性を見つけようという試みは、特筆に価します。
それもそうだけど、蛍の繁殖運動もやっていらっしゃるらしい高村さんの、蛍への思い入れがよく判る作品ですね。「一頭の蛍が知っている季節は命がけ」などというフレーズは、蛍はきれいだ、とだけ単純に考えいる私なぞにはとうてい思いつきません。
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