きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.6.29(火)
ここのところ雨が続くからか、蛙がよく鳴いています。東向きの私の書斎の向こうが蜜柑畑、その向こうが田圃です。けっこう離れているんですが、鳴き声は近くに聞こえます。昨夜はそれを子守唄にして寝ました。今夜もそうなるでしょう。
自分でも通勤に車を使っているので、あまり大きな声では言えませんが、車の騒音は大嫌いです(^^; 現在の場所に家を建てたのも、大通りから100mも奥まっているからです。田舎大好き、静かな所は大好きです。蛙の声はうるさいくらいですが、あまり気になりません。自然の音はやっぱりいいですね。連中も恋焦がれているな、と思うとニンマリしてきます。おーい、がんばれよぉ。
○詩と評論『日本未来派』199号
練馬区東大泉 西岡光秋氏 編集
意外だったんですが、このHPで『日本未来派』を紹介するのは初めてだったんですね。確か1950年の創刊ですから、かれこれ50年も続いている日本を代表する詩誌です(えこひいきですが、わが『山脈』も1950年創刊です)。次号は200号。『山脈』がやっと104号ですから、たいしたものだと思います。
上林猷夫さんが「金芝河氏の初来日と講演」と題したエッセイを書いています。金芝河は、ある意味では私の青春と重なりますので、胸を熱くして読みました。有名な『五賊』の含まれる1974年版『金芝河詩集』姜舜訳を持っています。古本屋で買った覚えがあります。
しかし彼の言う「新人間主義」というのは、新聞で読んだ限りですけどよく判りません。別に反体制に固執する必要もなく、金大中氏が大統領なった今は、私にとって何が「反体制」かも判らなくなっています。しかし、どうも金芝河の話は(新聞報道に限ると)宗教めいていけない。と、まあ、これは勝手な言い分です、読み流してください。
後遺症/川崎博男
焼野原(やけのはら)の街を歩いていると
向こうから ぼくを目掛けて
走ってくる人がいた
その人は ぼくの前にきて立ち止まり
直立不動の姿勢で挙手の礼をして言った
「オ元気デアリマスカ?」
幼馴染の年長のTさんだった
襟章と肩章がなかったが
兵隊の服装で 無帽だった
Tさんは ぼくに
何人かの知人の消息を尋ねた
消息のわかる人もあり
わからぬ人もあった
Tさんは別れ際に もう一度
挙手の礼をして 言った
「デハ、失礼シマス」
それから
ぼくが教練で習ったとおりの
正しい回れ右≠してから
両の拳(こぶし)を腰にあて
正しい駆け足の姿勢で
走り去っていった
その後 半世紀経ったが
ぼくはまだ Tさんよりもっとひどい
後遺症に悩まされている
暗唱を強いられた軍人勅諭の活字が
逐一 頭脳の皺に折り込まれていて
諳(そらん)じることができるのだ
恐ろしい詩だと思います。何が恐ろしいかと言うと、ここに書かれている階級社会が現在でも生きているということです。作者の「頭脳の皺に折り込まれていて/諳じることができる」のもそうですが、会社組織の中に綿々と続いていることです。会社組織は将校と兵隊の組織です。兵隊として過ごしている私には「正しい回れ右=vがあって「正しい駆け足の姿勢」があります。
軍隊の組織というのは、組織論としては優れています。蟻や蜂の世界を見るとそう思います。弱い生物が生き残るためには、それが必要なのかもしれません。そこに異を唱えるのが詩人の役割で、この作品は、それを見事にやってのけたと思います。
金芝河の、ある意味では変容に疑問を感じるのは、実はそこにあるのかもしれません。
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