きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「茄子」


1999.7.5(月)

 NHKのニュースで「電子書籍コンソーシアム」のことを報道していました。ああ、とうとう始まったか、という思いです。まだ実験段階ですが、いずれ1〜2年で実用化するでしょう。
 昨年、日本ペンクラブの電子メディア対応研究会が電子書籍コンソーシアムのメンバーと懇談しました。衛星を使って電子書籍を配信するサービスを推進しようとしているが、日本ペンはどんなふうに考えるか、という設定で呼ばれていきました。
 懇談会ですから、ああそうですか、とお話しを伺いましたが、コンテンツ、つまり何を配信するかが問題だな、と思ったものです。きょうのニュースでもまず漫画が出ていましたね。それから文庫の小説。何を配信するかは事業者の自由ですから、我々がとやかく言う筋合いのものではありません。でも、日本の文化を壊していくようなことだけはやめてね、と発言した覚えがあります。
 どうせ新しいメディアで配信するんだから、質のいい本を配信してほしいな、というのが本音です。でもまあ、今は通産省の後押しと予算があるから、商売抜きで実験できるでしょうが、実用化されたらどうなるかなあ。利益を上げない商売はあり得ないから、結局売れるコンテンツになっていくんだろうな。この程度の国民にこの程度のコンテンツ、ということになるんでしょうなあ。おっと、これは失言!


文芸誌『蟲の会』第11集
   mushi no kai
  1997.11.15 広島県安芸郡 大久保玲子氏発行

 6/12の日本詩人クラブ丸亀大会で、初めてお会いしたながとかずお氏が送ってくださいました。小説、詩、俳句を発表なさっていて、多芸な方のようです。他に『火皿』88号、91号もいただきました。

 人は生まれると木の盥
 死ぬときは木の棺にはいる (ながとかずお氏「木の話」第一連)

 いきなりグサリとくる言葉でこの詩は始まっています。

 木というのは青木のことだ
 青木というのは杉のこと
 青木一本 首ひとつといった
 百姓の人命なんより
 杉一本のほうが価値が重く
 優先された        (同・第二連部分)

 ここも力強い表現で、たたみかけるリズムが心地よいですね。

 密封した家をつくると
 木は窒息して死ぬ
 木が死ねば人間も死ぬ
 アソビや逃げが必要    (同・第五連部分)

 哲学的な言葉です。私も木は大好きで、自宅は木造平屋建てです。木の香りに包まれた暮らしを楽しんでいます。値切って建ててもらったんで隙間だらけ。それもまたよし、とこの部分を読んで納得です。

 人間の一生は木の一生
 これも相性だと
 棟梁は笑ってみせた    (同・最終連)

 前を省略しましたので、ちょっと判りにくいかもしれませんが、「人間の一生は木の一生」というフレーズに注目しましょう。いい言
葉だと思いませんか。人間と木との生涯の長短が問題なのではありません。いずれも一生は一生、あるいは木の家に住まわせてもらって、その中では「人間の一生は木の一生」とも受け止められます。含蓄のあるいい言葉だと思います。
 またまた私事で恐縮ですが、詩人クラブの地方大会には極力出かけるようにしています。東京近辺では会えない人たちにお会いする楽しみがあるからです。今回はまさにその通りでした。ながとさんとは丸亀大会が無かったら生涯お会いできなかったかもしれません。望外の喜びです。


わらびさぶろう氏詩集『野犬』
   yaken
  1999.6.20 同成社刊 1600円+税

 医師であり童話作家であり、詩人でもあるわらびさんからいただきました。本当はタイトル詩の「野犬」を紹介したいのですが、ちょっと長い散文詩ですのであきらめます。

 黄色い勾玉(まがたま)

痴呆のあの高齢の女性は
三日月のことを
黄色い勾玉と表現した
ふーむ
彼女のこころはもう縄文の世をさまよっているに違いない

 医師と詩人との同一性を見事に表現した作品だと思います。詩人として人間の苦悩を見据え、医師として手を差し伸べる。これはわらびさんでなければできない仕事でしょう。
 しかし、それにしても「縄文の世をさまよっている」という視点には感激します。人間をこんなにも温かく見守ることができる人は、そうざらにはいません。詩人のやるべきことを教えられた気がします。
 わらびさんとは詩人クラブで何度かお会いしています。端正で、温かみが滲みだしている方です。童話をお書きになっているということからもお判りのように、子供に対しても優しいのではないかと想像しています。子供を大事にする詩人が本物の詩人だと、勝手に思っています。



 
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