きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「茄子」


1999.7.7(水)

 きょうは日本ペンクラブ電子メディア対応研究会に行ってきました。電子メディアにおける著作権問題、電子メディアとプライバシー問題などについて話し合ってきました。プライバシー問題については、柳美里氏の違法判決を秦恒平座長が論じた新聞記事が紹介されました。産経新聞に7/1大阪版、7/3東京版で出ていましたからご覧になった方も多いかもしれませんね。
 これは「作者は覚悟を決めよ」と題して、モノ書きの基本的な考え方を述べた文です。参考になりますから是非ご覧になってみてください。同じ文章が秦さんのホームページに掲載されています。秦さんのホームページは「湖の本」というタイトルで私のホームページにリンクされています。
 きょうの研究会の内容はいずれペンの会報で紹介されますから、詳しいことは省略します。会員の方はそちらをご覧になってください。ここでは私が提出した「文字鏡の使い心地」について紹介します。文字鏡とは、文字鏡研究会というところで提供している漢字変換ソフトです。このホームページでは6/16の頁で一度紹介しています。

 一言で言うと、イマイチでした。9万字に及ぶ漢字や記号が使えるのは大変なことで、それをボランティアで作っている文字鏡研究会の皆さまの努力には頭が下がる思いです。しかも画像(GIF)になっていますからプリントアウトはもちろん、文字鏡ソフトが無いパソコンへの送信も問題ありません。問題は使い方が面倒だということです。
 きょうの電子メディア対応研究会ではExcelやAccessには使えないと報告しましたが、帰宅して詳しく調べてみると、使えます。研究会の皆さん、ごめんなさい。私の間違いでした。正確には「使い方が面倒」ですね。文字を選ぶ→クリップボードにコピーする→入力位置を指定する→出てきた文字列を文字鏡フォントに変換する→不要になった文字列を削除する、とこれだけの作業が必要になります。取説では8項目の手順になっていました。
 これではちょっと不便です。ましてモノ書きの道具として使うとなると、思考が中断されてしまい、実用的ではないかもしれません。やはり現在の文字コードのように、スペースバーで一発変換、となってほしいものです。電子メディア対応研究会では、従来のように文字コードを増やしてほしいという要望にすべきだ、と主張してきました。
 しかし、そうは言っても外字を自分で作る手間を考えると、非常に優れたものです。文字鏡委員会の谷本さんもおっしゃっていたように「文字コードが振られるまでの過渡的な処置」という潔い考え方も好ましく、私は使わさせてもらいます。そのことと文字コードを求めることとは別の次元の話だと考えます。

 さて、前置きが長くなりましたが本日紹介するのは、こちらも日本ペンクラブの会員、望月さんがお出しになっている月刊誌です。


沼津の文化を語る会会報『沼声』229号
   shosei 229

  静岡県沼津市 望月良夫氏 発行

 日本ペンクラブの例会でお話いただいた駐日ポーランド共和国大使の巻頭言や、最近、テレビ朝日の「ニュースステーション」に出演している轡田隆史さんのエッセイなどがあります。それらについても紹介したいのですが、やはり一番惹かれたのは、これです。
 名古屋市立大学医学部助教授の宮治眞さんという方がお書きになった「価値観の評価」というエッセイは考えさせられました。情報公開に関連して、医師のカルテも開示すべきではないか、という主張です。それはそれでやったらいいと私なんかは思いますが、人の価値観が病の要因になっている、という下りは考えさせられます。
 確かに、今は生活習慣病と呼ばれるようになった成人病も、もとを正せばその人の価値観に由来します。私も神経性胃潰瘍で入院したり神経症と診断されたりしたこともありますが、これらははっきり私の価値観に由来していると思います。その私なりの価値観を守りながら病気の再発を防ぐのが目下の課題でもあります。
 実は私も以前から漠然と同じことは考えていました。ですから、こうもはっきりと医師の言葉で語られると、スッキリしますね。おっ、俺もたいしたもんじゃあねえか、とね(^^;
 患者のもっている価値観、それを観察した医師の価値観評価もカルテに記載して、生々堂々と開示しろ、とも主張しています。これもやってみる価値がありそうです。そうすると奇麗事だらけのカルテになるかもしれないが、と心配する傍ら、理性的な勇気があれば自然淘汰されていく、と主張しています。これも理解できます。

 実は(また実は≠ナすが)、事の重要性は違いますが、このホームページも同じことが言えます。いただいた詩誌・詩集などの感想を書くということは、私の開示になります。今までは返礼を葉書一枚に書いていました。それも開示には開示なんですが、しかし、こうやってホームページに載せて公表するということは質的にまったく異なります。それをあえてやっているのは「理性的な勇気があれば自然淘汰されていく」という期待を持っているからです。
 要は、自分自身が理性的になりたいからです。事実、開設当初から比べると変わってきていると思っています。好意的に受け止められたり、反論されたりして、ずいぶん勉強になりました。私が言うのもおかしいのですが、医師も勉強になると思いますよ。

 前置きも長かったんですが、本文も長くなりました。本日はこれまで、に致します。



 
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