きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「茄子」


1999.7.9(金)

 きょうの神奈川新聞で私の新詩集『特別な朝』をとりあげてくれていました。「かながわの詩誌・詩集評」というコーナーで中上哲夫さんが書いてくれました。中上さんとはもう10年来のお付き合いですから、私の詩集なんぞをとりあげてくれたのはエコヒイキのような気もしますが、ここは素直にお礼申し上げましょう。中上さん、ありがとうございました!
 しかし、さすがは中上さんですね。「肉親の詩には明かにほかの詩にはない気が入っている」というご指摘は、アタリ!です。自分でも自覚しています。でも「晦(かい)渋なところのないのがこの詩人のよさだろう」って?。?の理由は「晦渋」の意味が判らなかったから(^^; で、辞書で調べたら「(言語・文章などが)むずかしくて、意味のわかりにくいこと」とありました。そう言えばそうでしたっけ。
 一瞬、おまえは単純だからな、と言われたのかと思いましたが、よくよく意味を考えると、そうではなさそうですね。安心しましたよ。ん? そっちの意味だって(^^;
 でも神奈川新聞って誤植が多いなあ。以前は山田今次さんが「山田今治」になっていたし、今回は村山精二が「村上精二」。あっ、本当は私のことではなかったりして(^^;


北条真人氏詩集『バタフライ』
   butterfly

  1999.6.20 地球社刊 1800円

 この詩人からは過去に『水鏡』と『空の面輪』という詩集をいただいて、今回が三冊目の詩集になります。この三冊の中では、今回が一番良いと思っています。

 

もう 自分の影がいらない
こんなに重いものを引きずって
歩けないんだ

砂ばかりがはいった袋のように
どこかにどっさりと
すててしまいたい

だが
行けども行けども
くらくら行く手がひろがる一方

うつむけにも 仰向けにも
倒れそうになるが----だめだ
影が躯を支えているなんて!

 最後の一行がいいでしょ。同じ思いをしたこともありますね。こいつが邪魔だ、こいつさえ無ければもっとうまくいくのに、と思っていたら、それが一番大事な部分だった、なんてことありませんか?
 「影」というのは、いわばありふれた素材ですが、こううまく表現されると唸ってしまいます。以前の詩集では見られなかったところで、この数年の長足の進歩に敬服しています。やっぱり継続は力。いや、力のある詩人だから継続できたのかな。


源氏物語植物保存会『花みくり』33号
   hana mikuri 33
  京都市伏見区 村田昌広氏 編集

 きのうの温泉協会の冊子といい、この冊子といい、世の中にはいろいろな出版物があるんだなあ、と感心しました。源氏物語ではないんですよ、「源氏物語植物」です。万葉植物園などもありますから、源氏物語に関連したものがあってもおかしくはないですけどね。
 日本詩人クラブ会員の相馬大さんからいただきました。不躾に私の詩集をお贈りしたところ、丁重な返礼とともにいただいたものです。この中で相馬さんは「<花と源氏物語>葉守の神」というエッセイを巻頭でお書きになっています。
 この中で相馬さんがおもしろい指摘をなさっています。「この歌から、柏木という名を、読者がつける。作者の紫式部は、一回も、この登場人物を、柏木とは書いていない。まさに、読者と作者の合作、そこに『源氏物語』の、国民文学としての性格があらわれてくる」。
 へえー、そうなんだ! 円地文子の源氏は持っていますが、あまり真面目に読んでいなかったので、早速調べてみました。やはり「柏木」という章はありました。これは読者がつけたのか!
 源氏を勉強した人なら常識なのかもしれませんが、私にとっては大発見です。こういうことを教えてもらえるというのはうれしいですね。また源氏を読み直してみたくなりました。ついでだから、今度は「源氏物語植物」という観点でも。



 
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