きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「茄子」


1999.7.20(火)

 「海の日」ですが、関東地方の梅雨はまだ明けないようです。朝のうち、ちょっと会社に行ってきました。その後は積ん読≠フままになっていた本を読んだり昼寝をしたり、のんびり過ごしています。雨の日は外に出ない理由ができて、好きです(^^;


隔月刊誌『東国』108号
   togoku 108
  群馬県伊勢崎市 小山和郎氏 発行

 あるじ/新延 拳

椅子に温みを残しながら
終電のあるうちにと帰る客、ホステス、従業員
残るのは長尻の客とママ、マスターだ

したたかに酔った客がママを送ると言って帰り
マスターが戸締りをして
ゴミを出して最後

その後
銀座の路地はホームレスが歩く
飢えを満たしながら
彼らが一人ずつ透明な月に消えていくと

鴉の群れがやって来て残飯をあさる
つまり鴉が最後の主人なのだ
のぼりはじめた朝日をうけて鴉の眼が光る

鴉も去るといよいよこの街には誰もいなくなる

 新延拳さんは東京生まれだそうです。ある日「東京が心底好きなんだ」と私に言ったことがあります。この作品を拝見して真っ先にその言葉を思い出しました。新延さんと何度も銀座を始め、あちこちで一緒に呑んでいます。そして常に新延さんは「残るのは長尻の客」であり、私は「終電のあるうちにと帰る客」であります。従って「したたかに酔った客がママを送ると言って帰」った後は、私には知らない世界です。
 おそらく新延さんも「この街には誰もいなくなる」までは実際に見ている機会は少ないんだろうと想像します。おもしろいな、と思うのは、そこまで作者の頭が行くということです。やはり東京に生まれて、東京が好きで住んでいる人だな、と思います。私にとって東京は呑みに行く町ですから、帰ってきたらもう考えません。その違いを発見して一人悦に入っています。
 その他、今号の『東国』で特筆すべきことは、私の詩集『特別な朝』について小山和郎さんが書いてくれたことです。「こんな小さなスペースで取り上げるのは却って失礼なような気もするが」とわさわざ前置きしてくれていて、恐縮です。スペースの問題ではありません。取り上げてくれたこと自体、ありがたいことです。改めてお礼申し上げます。


伊藤貞夫氏詩集『中〆』
   nakajime
  1999.6.30 東京文芸館刊 2500円+税

 日本詩人クラブ会員の伊藤貞夫さんからいただきました。伊藤さんは中学校の校長先生をなさっていたようで、定年退職してから、もう10年になります。今年は古希になるそうです。古希を人生の中〆と考えて第三詩集をお作りになりました。

 まず動く

私の散歩の舞台には
貝塚があり竪穴住居跡がある
古代の姿はないが
話しかけると時に手応えが----

朝起きると 腹ぺこだ
食べる物は 何もない
始めは貯える術≠ネど持ち合わせていなかった
食べ物探しに動きはじめる
空腹に耐えながら
見つかるまで 探し歩く
見つけないと食べられない

岡本太郎の憧れの縄文人の
「純粋で分厚い生命力」は
この動くことから生まれ出て育っていったのだろう

 確かに。そうだったんですね。動かないと食べられない。現代人が忘れていたことを見事に指摘されてしまいました。詩集から拝見すると、伊藤さんはよく動いているようです。晴耕雨読の生活をなさっていて、自ら「百姓」と規定しています。だからこそ言える言葉ではないかと思います。
 晴耕雨読は憧れです。しかし実際やってみるとツライ。私も90坪ほどの小さな蜜柑畑を持っています。遺産で転がりこんできたものです。それでも最初の3年ほどは真面目にやっていました。しかし労働はキツイし、かけた金の割には収穫があがらない。時間はとられるばかりで、とうとう近所のお百姓さんに大変なところはお願いしてしまいました。左様に晴耕雨読とは難しいものなのです。
 それを、退職後とは言え立派に続けていらっしゃることに敬意を表します。それに改めて晴耕雨読を教えられました。私にも下地があるから、定年退職後は可能性がある、ということです。おーい、ホームページなんかでうつつを抜かしてないで、真面目に大地と取り組めよ、と言われている気もしますが(^^;


ニフティ・サーブ詩のフォーラム 詩と通信の1st Step『Gai pana』
    gai pana
  練馬区春日町 詩のフォーラム事務局発行 1000円

 日本未来派の大村浩一さんからいただきました。大村さんはパソコン通信の詩のフォーラム「FPOEM」でフォーラム運営に関わっている人でもあります。そのFPOEMで初めて出したのがこの本です。
 メンバーの詩、和歌、俳句などが掲載されています。前日本現代詩人会理事長・一色真理さんとのインタビュー記事、フォーラム内でのメンバーの発言なども載っていて、ちょっと他にはない本です。体裁も片頁からは縦組み、もう片頁からは横組みと、いかにもパソコンでモノを書いている人たちらしい本です。
 実は私もここのメンバーです。もう何年も顔を出していないので、除名処分になっているかもしれません(^^; メンバーのだいぶ変ったようです。数も多くなったんでしょうね。

 おまつり/野本京子

おみこしがつぶれて
おんなのこがしんだので
以後禁止 です

おにいさんはくるまのじこでしにましたが
くるまは
以後禁止 になりません

しんじているものがちがうのです
しんじているものがちがうのです
けっかはおなじでもね

さびしいばかりではない
おまつりがすくったはずのたましいを
ひじょうにかんまんなせいぜんとしてせいけつな
みごろしに

いきいきと いなほ
どうと なみうち
みのり ゆたかです

あらあらしいほどの
せいめいりょく に
どうやってこたえたら
よいのでしょうか

 「詩の展覧会」「詩の道場」会議室よりの推薦作だそうです。なかなかいい視点をしているなと思います。四連はちょっと難しいんですが、言わんとしていることは判るような気がします。最終連もちょっと一、二連との関連で違和感があったのですが、タイトルと結びつけると理解できました。やはり一、二連の印象が強烈なんですね。



 
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