きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「茄子」


1999.7.25(日)

 きのうは私の新詩集『特別な朝』の出版記念会でした。総勢70名近い人に集まっていただき、感激しました。猛暑と呼んでいいほどの暑さにもかかわらず、85歳の寺田弘さんを始め、こんなに多くの人が来てくれたのは、ひとえに『山脈』のお陰だと思います。
 今回は『山脈』の同人たちが企画、運営をやってくれました。いつもは私が主体となるんですが、今回はそうもいかず、すべておまかせでした。しかし、自分が主役でいるよりは裏方で働いた方が気は楽ですね。どうも一番前で皆さんの祝辞を受けているのは、コソバユイ。
  990724
    恥ずかしながら家族です
 ま、いずれにしろ無事に終わって良かった。おいでいただいた皆さん、祝電やお酒を贈ってくれた皆さん、『山脈』の同人の皆さん、どうもありがとうございました。
 で、一泊して帰ってきましたが、とたんに会社から呼び出しの電話。日曜の午後というのに4時間も打ち合わせをしてしまいました。あしたは出張だな、こりぁ。まあ、福岡じゃなくて東京なんで、肉体的にも精神的にも楽ですけど。


月刊詩誌『柵』152号
   saku 152
  大阪府能勢町 詩画工房・志賀英夫氏 発行

 黄色い雨/小城江壮智

川むこうのおおきな煙突
広域清掃事業体の
ごみやきばである
きょうも
白いけむり

つぎからつぎへ
新しくはきだし
風がないから
ほとんどまっすぐ
たちのぼっていくのだ

「ご主人様・・・・御用でしょうか」
ふわふわ巨人が
律儀におうかがいする
アラジンのランプ

ああ
この世はこんなぐあいに
どこもかしこも魔法だらけ
とびきりかしこいつくりもの
たっぷりぜいたくなれのはて
ぜんぶ化石燃料ふきこんで
ガスや灰にする

「のんきなあるじは
 おどりにむちゅうでございます
 そのあとぶたのようなおひるね
 食べのこしはパーッと
 炎にまぜてまきちらしましょう
 まっさおな空にも栄養を ね」

黄色い雨は
こうしてふった

 あたり前でしょうが、自分と似たことを考えている人もいるもんだなあ、と思いました。この作品を読んで「地球の雲」という自作を思い出しました。最終行は「雲は硫酸でできている」というものです。
 私の場合は直接的な表現になってしまいましたが、この作品は違います。「どこもかしこも魔法だらけ」「まっさおな空にも栄養を」などという表現は、なかなか良いと思います。この方が終連を強調する意味でも成功でしょう。
 同じようなことを考え、同じようなことを書いていても、表現にずいぶん違いがあることが判り、勉強させられました。


文藝同人誌『羅』3号
   ra 3
  神奈川県湯河原町 露木昭美氏 発行

 夕立/高橋和子

花が散って明るくなった日 わたし
の岸に住みついた賑やかな憂鬱たち
なつかしい物語を連れて 宿は水草
揺れる心に 不意にとまる赤トンボ
曲がりくねった過ぎた日の 水に隠
れて泣いていた

宮野路に霧立ち込めて春 秋は父の
深さを紅葉に染めて 母の巾だけ冬
が来る 丘にのぼって夕日を数え
急いだ雨の昨日のあたり 明日は
どこかで小鳥も飛んだり

さえずる小鳥の胸のうち 水平線の
向こうまで ひそかに辿れば独りごと
波の後ろに小さく咲いて 寄せては
返す風の音 聞いたことなど知らぬ
まま いつかどこかで 紅い実たべて
蒼い涙と暮らしていた

 非常に美しい作品ですね。最近ではこんなに美しい作品にはなかなかお目にかかれないと思います。「秋は父の/深さを紅葉に染めて/母の巾だけ冬/が来る」というフレーズに特に惹かれました。
 波と風の共鳴もおもしろいと感じました。作者の並々ならぬ感性を感じます。言葉と事象への感性が、です。詩人が基本的に備えていなければならないものを、作者はちゃんと見せてくれていて、久しぶりに硬質な詩人に出会った思いです。



 
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