きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.8.4(水)
「99夏・納涼会−深川・史跡散策と屋形船」という集まりに行ってきました。世話人は菊田守さん、講師はH氏賞詩人の山田隆昭さん、参加者総勢36名というものです。
写真中央は講師の山田隆昭さん。場所は、芭蕉が「奥の細道」の旅に出かけた出発地、海辺橋です。この他、芸者発祥の地「辰巳の花街」、横綱の碑がある「富岡八幡宮」、福士幸次郎の墓などを見て歩きました。さすがは江戸・深川、とても2時間やそこいらでは見切れるものではありません。
夜は屋形船で隅田川の夕暮、夜景を楽しみました。ほんとうは史跡巡りより、こちらの方が目的であったりします(^^; 呑んで、呑んで、カラオケをやって、ハメを外しました。
さて、いただいた本の紹介です。
○詩誌『鳥』33号
京都市右京区 洛西書院・土田英雄氏 発行
旧漢字と敬語で
妙に大人っぽく
その実 たどたどしく書かれた
僕等の練成日誌
天皇陛下・兵隊さん・戦争の文字の推積から
ある言葉が
キーワードになって
急に
少年期が蘇ったりしないかい
あの頃がよかったというのではない
今の子供たちのほうが
「うんと良い」にきまっている
でも
「その話 もう聞き飽きた」
などと言わないで
時には
少年期を共有する友に出会って
夜を徹して
語り合いたいと思うときはないかい
(土田英雄氏「かつて少国民だった友よ」第7〜9連)
「その話 もう聞き飽きた」と言えるのは、戦後処理がすべて終わって、自国民の誰からも、諸外国のどこからも文句の出てこない状態になってからでしょう。日本は残念ながら戦後54年も経っているのに、そんな状態ではありません。むしろいつか来た道≠やろうとしています。
土田さんはこの作品の他にも「だから「君が代」は歌わない」というエッセイもお書きになっています。その中の最後の連は、
ここに詳述するゆとりはないが、いま逆行する時代に
あって、私は決してドンキホーテのパンチョの役割は担
わないでおこうと思う。良識ある者は「君が代」のため
に失なわれた命の重さを今こそ再認識すべきである。
と、なっています。「少国民」だった土田さんと、戦後生まれの私とでは戦争に対する経験はまったく違います。体験することがすべてとは思いませんが、やはり体験者の言には重みがあります。非体験の私たち以降の世代は、土田さんの発言に耳を傾けなければならない義務がありましょう。
詩人、モノ書きとしての発言は、その作品からが第一、と私は思っています。土田さんの作品にはそれがあります。思想と芸術性の一致を見る思いです。
○蟲の会会誌『シェニーユ』第13集
広島県安芸郡 大久保玲子氏 編集
寺町で遊女の墓石を見いだし足が竦んだ
芸州広島にも辰巳芸者に勝るとも
劣らぬ芸者がいたと老住職は声を強めた
なにも吉原だ深川だと威張るこたぁない
立ち姿が艶やかで 気っ風がよくて
客あしらいが実にうまかったねえと言う
天井に描かれた28畳分のおまんだらを指して
「やるときゃやります ぱあーとね
いいでしょう なんも考えんで
これ眺めとりゃ気持ちが晴れ晴れしますよ
明るく 楽しく ね 世の中って
そういうもんですよ」くわんらくわんらと
笑い声が本堂へこだました (ながとかずお氏「観音さま」第15、16連)
きょうは、芸者発祥の地「辰巳の花街」を歩いてきたばかりだというのに、さっそく芸者さんの詩に出会いました。不思議な因縁を感じますね。私は芸者さん、大好きなんで、うれしいですけど(^^;
「芸者遊び」というほどのことはありませんが、私の住んでいる所は箱根、熱海が近いこともあって、時々お相手させていただいています。「芸者」と正式に呼べる人は少なく、ほとんどが「コンパニオン」でしょうけど。
ながとさんがお書きになっている「芸者」には売春婦も含まれているようです。芸者と売春婦はまったく違うと私は思っていますが、ながとさんの彼女たちを見る眼に、私と通じるものを読み取りました。「明るく 楽しく ね 世の中って/そういうもんですよ」というフレーズに、それを感じます。
結局、芸者であれコンパニオンであれ、明るく楽しく呑めることが大前提なんでしょうね。花代払うときは、薄い財布を恨みますけど(^^;
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