きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.8.5(木)

 きょうは箱根に行って来ました。8/7〜8に『山脈』の合宿があります。宿はとってありますが、8/8に皆さんをどこにご案内するか決めていなかったので、その下調べです。特に昼食をどこでとるかは大問題で、これにはいつも頭を悩ませています。
 箱根もこれで4回目かな、5回目かな、というぐらい行っています。目ぼしいところはだいぶ歩いたつもりですので、今回は旧街道にしました。「甘酒茶屋」「旧街道資料館」を中心にして、昼食は知る人ぞ知る「はつ花」にしました。箱根の「はつ花」は2つあって、ほんとうは本館が雰囲気があっていいんですが、18名なんてとても対応できないと言われてしまい、泣く泣く新館を予約しました。まあ、味は同じだからいいでしょう。
 本館は狭くて、いつもいっぱいで、とても予約なんか受け付けないだろうな、と思っていたら案の定でした。でも、おばさんの対応がおもしろかった。客は若い人たちが多いんですが、対応はかなりつっけんどんです。しかし私のところに来たら急に丁寧になって、あれあれと思いましたよ。18名も来るというので丁寧な応対なのかな、と思いましたが、多分違いますね。
 2〜3日前にスキンヘッドにしました。夏はほとんど恒例のようにそうしています。さっぱり爽やかですからね。
 その頭で、しかも色の濃いサングラスで店に入ったんですよ。きっとおばさんはビビったんでしょう(^^; おばさん、ごめんなさい。


沼津の文化を語る会会報『沼声』230号
   shosei 230
  静岡県沼津市 望月良夫氏 発行

 今号は敗戦を特集しています。思わず「終戦」と書こうとしてやめました。編集後記に「野球でも敗戦投手というように、戦えば片方が勝ち他方は負けです」とあります。その通りですね。「終戦投手」とは言わないもんね。

  戦争はある日突然起こるのではなく、じわじわと拡大して
 ゆくことを、肌で感じとった世代であった。
   (河上民雄氏「戦争を知らない世代へ」部分)

 この言葉も深いと思います。現在の周辺有事法などを見ていると、「じわじわと拡大してゆく」ための準備とも考えられます。
 しかし、私には疑問があります。こうやっていただいた本を見ると戦争に賛成するものはまったくなく、ほとんどが平和を守ろう、戦争はやめようというものばかりです。にもかかわらず、なぜ周辺有事法などが成立してしまうのでしょうか。ここのところのメカニズムがいつも不明です。国会が決めるのですし、その議員は国民の選挙によって選ばれているわけですから、国民の意思は伝わるはずだと単純に考えてはいけないのでしょうかね。
 国会議員の選び方に問題があるのでしょうか。しかし皆さん立派なことをおっしゃっているし、好戦的な発言をマスコミを通じて聞いたことはありません。にもかかわらず周辺有事法は成立した。どうも「じわじわと拡大してゆく」というところに鍵があるのかもしれませんね。


詩誌『叢生』103号
   gyosei 103
  大阪府豊中市 島田陽子氏 発行

 そういえば
 母はどこまでいったのだろう

 白い割烹着姿の
 少し猫背の小さな母は
 いまも私といっしょにいる
 (私の背が近頃丸くなってきたのはそのせいだ) (島田陽子氏「星になる」第2、3連)

 亡くなった母上への鎮魂歌で、母娘のつながりを感じさせ、胸が熱くなってきます。

 いつか
 私たちは互いの見分けもつかず
 無数の塵のひとつとして星雲を形づくり
 引き合い 熱くなり 高速回転し
 遂に 新しい星になる
 何千万年もかかって    (同・第4連部分)

 「私たちは互いの見分けもつかず」という発想は見事だと思います。そして納得します。これだけの人が死んでいるんだから、そう簡単に見つけられるはずがない、と思います。それでも「無数の塵のひとつとして」死後も存在するなら、死の意味を考えることができます。
 柔らかな表現で、下手をすると見過ごしてしまいかねませんが、死について重要な示唆を与えている作品だと思います。


詩誌『かたばみ』3号
   katabami 3
  埼玉県八潮市 呉美代氏 発行

 しかしそれらの花の苞は翻り
 どれも西洋タンポポだ
 父祖の代に海を越えて
 この国土に根を下ろし
 したたかに繁栄した種だ

 咲き盛る西洋タンポポにひきかえ
 日本種のタンポポは全く見当たらない
 西水元の大場川の土手に
 カントウタンポポが
 この春、咲いたというが  (呉美代氏「タンポポ」第2、3連)

 前にも書きましたが、私は植物についてはまったく無知で、タンポポに西洋種と日本種があることすら知りませんでした。恥入るばかりです。
 それにひきかえ作者は、日本種の「カントウタンポポ」を探して西水元という所まで出かけて行きます。実は今号のエッセイに「タンポポに思う」というものも作者は書いていて、それによるとかなり歩いたようです。
 そこまでして日本種のタンポポを見たいという思いは、どこから来るのかな、と考えます。理由はいろいろおありなんでしょうが、私には「詩人の魂」のようなものを感じます。なんの特にもならない、ただ日本種であるというだけのタンポポを見る、というのは他では説明し切れませんものね。



 
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