きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.8.16(月)

 いやな事件です。事故ではなく、事件だと私は思います。神奈川県山北町というのは、私の住んでいる市の隣町です。丹沢湖のそばには伯父も住んでいます。亡くなった人には申し訳ありませんが、いやな思いをしています。
 中州でのキャンプなどもっての外。まして3回に渡る警告を無視するなぞ、論外です。大人はその責任がありますから、死亡してもやむを得ませんが、可哀想なのは巻き添えになった子供です。まだ死亡と決まったわけではありませんが、おそらく生存は無理でしょう。子供の冥福を祈ります。
 これでキャンプが槍玉にあがってくるでしょう。私は30年に渡るキャンプを2年前にやめました。理由はブームになったからです。ブームになると必ずこういう事件、事故が起こります。その仲間だと思われることは心外です。そうやってアマチュア無線もジーピングもやめてきました。人口が増えると碌なことはない。
 願わくは、今回の事件を行政のせいにしてほしくありません。行政の落ち度を云々する問題ではありません。あくまでも警告を無視し、川を知らない人たちが起こした、私的な事件です。

 20年前に四輪駆動車で野山を駆け回って遊んでいました。当時、林道を走るのはほとんど制限がありませんでした。しかし、その後ブームになると、林道で事故を起こす車が相次ぎました。そして驚いたことに、事故の原因を林道管理者の行政に押しつけたのです。それから林道への進入規制が始まってしまいました。その段階で、私はジーピングをやめました。
 林道や野山は、一般の道路に比べると危険な所です。私は、その危険がおもしろくて遊んでいました。事故れば、それは運転が未熟だっただけで、行政に責任はありません。行政に責任を押しつけるような輩には林道で遊ぶ資格が無い、と言ってもいいでしょう。
 端的なのはハンググライダーやパラグライダーなどのスカイスポーツでしょう。生命保険にも入れない遊びですから、仲間たちは自己責任の気持ちを強く持っていました。それでも仲間の何人かは死んでいます。しかし行政に訴えるようなことはしません。場合によっては死ぬかもしれない、という遊びですからね。
 書き出すと切りがないのでやめますが、これだけは言いたい。個人の責任を他人に押しつけるな!


宗教誌『法光』199号
   hoko 199
  東京都台東区 臨済会 発行

 これは珍しい。臨済宗の会報のようです。日本詩人クラブの小野恵美子さんよりいただきました。皆さん、いろいろな所でお書きになっているんですね。小野さんも書いていますよ。「十四歳の巣ごもり」という不登校を扱ったエッセイです。

             (前略)感受性が
 過敏に働き、身体が拒否反応をするのである。
 頭痛、腹痛、動悸や息切れ、下痢などの症状を
 訴えることが多い。現在、不登校を続けてい
 る生徒の手記を読むと、その行為は逃げでは
 なく自己防衛であることが理解できるのだ。
  (中略)
  身を挺しての拒否反応は自分の部屋の外に
 出ようとしない巣ごもりという形をとるが、
 一過性の現象に過ぎないようだ。少なくとも
 彼らはイエス・マン=体制服従型≠ナはな
 いのだ。将来、知性を獲得していったなら、
 新しいタイプの日本人として、すなわち、現
 状打破の批評精神を持った人間となって、社
 会を変えていく力を担うにちがいない。(後略)

 これはよく理解できるし、「新しいタイプの日本人として」という視点は、正直、驚きです。不登校については経験がありませんが、こういう見方をすれば親も子も気が楽でしょうね。
 不登校の原因のひとつに「勝利至上主義」があると、小野さんは別の個所で説いていますが、これも納得です。それが前出の「行政に責任を押しつける」行為につながっていると、私などは思います。すなわち、勝てばいい(裁判でも)、どんな形であれ利益があがればいい、という発想です。
 いつから日本人はこんなふうになってしまったのか。実は私なりの回答はあるんです。それを書き出すと長くなるから、まあ、そのうちにおいおい書いていきます。


詩誌『火皿』92号
   hizara 92
  広島市安佐南区 福谷昭二氏方 火皿詩話会発行

 6月の日本詩人クラブ丸亀大会でお会いして以来、いろいろ贈呈いただいている、ながとかずお氏からいただきました。

 カタクリの花が咲いたよ
 と誰かの声がしたのです
 僕は驚いてふり返りました
 すると
 身体は四、五歳の子供くらいで
 頭をつるりと丸め濡れていました
 僕が河童を見たのは
 この時が初めてでした  (ながとかずお氏「河童」第4連)

 どうも私はこういう才能がないようで、河童にも狐にも狸にも合ったことがありません。日本詩人クラブの創設会員でもあった故・平野威馬雄さんは「お化けの会」というのを作っていました。生前の平野とはとうとうお会いすることはありませんでしたが、娘の平野レミさんとは年に1〜2度お会いする機会があります。そこで威馬雄さんのことを伺うと、本当に霊感があったのかもしれないな、と思ってしまいます。
 この「河童」はあくまでも詩作品ですから、事実かどうかは関係ないんですが、ながとさんが本当に河童に会ったのなら、それはすばらしいことだなと思います。実はこの作品の他に長津功三良さんという方が狐の話を書いています。こちらもおもしろい。
 うちの親父も狐に化かされた話をします。私の所属する『山脈』の主幹も、友人が亡くなるときは玄関の戸を開けると言います。一応、科学者の端くれとして生業を営んでいる私ですが、それらを否定する気はありません。科学的に解明できたらいいな、とは思いますが。
 それにしても文学の心地よさよ。論文ではこんなこと書けませんが文学なら自由ですもんね。人間の持っている多面性に改めて感心しています。



 
   [ トップページ ]  [ 8月の部屋へ戻る ]