きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




1999.8.20(金)

 昨夜は沼津の「磯庵」という磯料理屋に行ってきました。日本ペンクラブでお世話になっている、開業医・望月良夫さんが主宰する「柳家小満んとあそぶかい」という落語の会です。小満ん師匠と望月さんに了解をとって、写真を撮りました。このHPへ載せることも了解いただいていますので、ご紹介します。
   yanagiya koman
     柳家小満ん師匠
 ご存じの方も多いかもしれませんね。ちょっとピントが甘くてゴメンナサイです。演目は「不精床」と「皿屋敷」でした。久しぶりに笑わせてもらいました。私にとって小満ん師匠の噺は、今回で2度目ですが、落ち着いた良質の噺ですから、後味が良くて好きですね。
 この「柳家小満んとあそぶかい」というのは、もう20年も続いているそうです。毎回、10人ほどが料理屋に集まって噺を聞くという贅沢な会です。噺が終わると師匠を囲んで宴会。出てくる酒は「越乃寒梅」と決まっていて、私はそれも楽しみで出席させてもらっています。
 いい噺で、質のいい大人が集まって、いい酒を呑んで満足した夜でした。なかなかこんな夜はありませんね。


北村愛子氏詩集『証言−横浜大空襲−』
   shyogen
  1997.5.1 プラザ企画刊 1800円

 こどもの頃の色

電灯の笠には黒い被いがしてあり
窓には遮光カーテンが掛けられ
光が外に漏れないようにしてある
部屋の中はお化け屋敷のように暗く
わたしがカーテンをめくって
こっそり外を覗くと星空があった

「光が漏れると敵機に狙われるでしょ
早く閉めなさい」母が跳んできて叱った
「いつ空襲になるか判らないから
子供はもう寝なさいよ」と促された
二階から一階の玄関の間に寝るようになった
わたし達は枕元に防空頭巾とリュックを置き
いつでも逃げ出せるように
もんぺを履いたまま横になる

電灯の笠に黒い被いをする
編隊を組んだB29で
空が被われると空も黒色になる
防空壕の中も真っ暗

戦争の色は黒い色をしている
こどもの頃の色は黒い色をしている

 北村さんは、横浜大空襲があった1945年5月29日には8歳だったそうです。「こどもの頃の色は黒い色」と詩うときの北村さんのお気持を考えると、胸が締め付けられる思いです。いつも犠牲者は弱い者。強い大人たちが戦争を始めて、弱い子供に犠牲を押しつける。それは今も変っていないように思います。
 例え話が唐突ですが、私の隣町で起きた玄倉川キャンプ事件も同じに思えてなりません。大人の身勝手で中州でキャンプをして、大人のみならず子供も犠牲にしている。子供は誰を信じて頼ればいいのか、考えさせられています。
 北村さんが体験した横浜大空襲を綴ったこの詩集には、資料としても貴重な作品が多々収められています。「干しバナナ」「御飯」「横浜大空襲−一九四五年五月二九日−」「むれた布地」「写真」「列」など、どなたにも読んでもらいたい作品です。


北村愛子氏詩集『ペンギンさん 頑張ろうね』
   penginsan ganbarone
  1999.3.25 詩人会議出版刊 1500円

 前出の『証言』と同時に、こちらもいただきました。「両膝変形性関節症」と闘っている作品が多く、思わず声援を送ってしまいました。

 ペンギンさん 頑張ろうね

娘に読み聞かせをした絵本の中の
流氷に立っていたペンギン

 ペンギンさん かわいいね

 ペンギンさん 寒くないの

 よちよちあるきのペンギンさん

小さい娘が呼びかけていた
あの時の娘がもう二十三歳
気がついてみたら
ペンギンのような格好をして
わたしが歩いている

それでも 杖なしで
ちょっとだけ歩けるようになった
進歩! 進歩!

 ペンギンさん 頑張ろうね

娘の声が聞こえる

 詩集のタイトルにもなっている作品です。ご病気は、他の作品から判断すると、かなり大変なはずです。しかし、この作品ではそんなことはおくびにも出していません。爽やかですらあります。それはどこから来るんだろうかと考えました。
 私は、ご家族ではないかな、と思います。上の詩集の絵を見ていただきたいのですが、ペンギンの絵はご主人がお描きになったそうです。ちょっと小さくて申し訳ないんですが、やさしい絵です。ご主人のお人柄が判ります。それにこの作品にも出てくる娘さんは、二十三歳におなりになっても「ペンギンさん 頑張ろうね」とおっしゃるような方のようです。
 詩は不思議なもので、作者の人柄や家庭環境まで手にとるように読者に示してくれます。久しぶりに人を信じていいような気持ちになってきました。



 
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