きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.8.21(土)
きょうはおふくろの三回忌でした。もう3年も経ってしまったのかと思うと、感無量です。しかし、久しぶりに姪たちに会うと成長ぶりに驚き、世代の交代を感じます。そうやって遺伝子は残っていくんでしょうね。
○門林岩雄氏詩集『島の伝説』
1999.8.10 竹林館刊 2000円+税
島の伝説
おれたちの先祖は鳥でな
大空を自由に行き来してた
秋には南の島へやって来て
冬には北の国へ帰って行った
ところがあるとき 嵐にあい
見知らぬ島に舞いおりた
島は深い森に覆われていた
森には色とりどりの花が咲き
さまざまの果物が実っている
虫や蛙やトカゲがいっぱい
食べものはふんだんにある
おれたちの先祖は
北へ帰るのをやめてしまった
そのうち太って 飛べなくなった
羽根は手に変わり 毛も抜けた
やがて森に毒蛇がする
川に鰐(わに)がひそむのが分かった
しかし 毒蛇をやっつける嘴(くちばし)はない
鰐から逃れる羽根もない
祭りのとき おれたちは踊る
鳥の恰好(かっこう)をして----
なくしたものを懐かしみながら
詩集のタイトルにもなっている作品です。鳥になりたいと思うのは、先祖は鳥だったから、とする説がありますが、この作品はまさにそれですね。南方の民族の中には、それで鳥の恰好をして踊る種族があると聞いたことがあります。そのことを詩った作品、と受け取りました。
私はたまたまスカイスポーツが好きだった時期があります。ハンググライダー、パラグライダーで遊びました。人間の体重を支えるには、24uが必要で、大きな翼になりますから「鳥のように」とはなかなかいかないものです。それでも鳥に近づいた気分で、遠い先祖を偲びましたよ(^^;
日だまり
ひかりっ子はあつまってがやがやいってる
そして人がくるとぱっとちってしまう
たった2行の作品ですが、いい詩ですね。「ぱっとちってしまう」のは、影ができたからか、文字通り光が散乱するか、どちらとも取れます。どちらにとってもいいんですが、光の散乱の方がいいと思います。科学的な現象を文学で表現するとこうなるよ、という見本のような作品だと思います。
○文芸誌『らぴす』9号
岡山市 アルル書店 小野田潮氏編集・発行
熊谷文雄氏の「江馬修『山の民』」に興味を覚えました。江馬修はえま なかし≠ニ呼ぶ作家です。明治22年生まれで昭和20年代か30年代に亡くなっているようです。浅学にして知りませんでした。
「山の民」は明治2年に飛騨地方で起きた「梅村騒動」という農民一揆を描いた歴史小説のようです。熊谷氏のエッセイには「悪代官対純朴な百姓という構図ではなく、両方の立場を客観的に描いた上質な歴史小説」とあります。そして「若い急進的なエリート武士とそれに無理解な土着の「頑固な民」との行き違い、駆け引きが興味深く、それは現代社会でも普遍的な近代対土俗の対立であり、自分自身の心にも巣くう近代と土着の対立、葛藤にも通じる。」と続けています。
この「現代社会でも普遍的な近代対土俗の対立」というところに私は惹かれます。現代を考える上で、幕末や明治という時代は重要だな、と最近思っています。その一端を伺える小説のようで、なんとかして手に入れたいものです。そんなことを教えてもらえるのも、こうして全国のいろいろな人たちが本を送ってくれるからで、感謝に耐えません。
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