きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.8.28(土)
横浜詩人会主催で「夏の宵の詩とジャズ」というイベントがありました。昨年は私も朗読をさせてもらったのですが、今年は聴くのみ。気楽ですね、聴くだけというのは。金井英人さんのベースは大好きで、堪能させてもらいました。
「ドルフィー」にて
右がベースの金井さんです。ミュージシャンという雰囲気たっぷりなんですが、愛嬌もあって、会場は笑いの渦になります。予定時間の2時間はあっという間に過ぎてしまいました。毎年やっていますからお時間の都合のつく人はどうぞ。このHPで事前にお知らせすることを忘れていましが、来年はちゃんとやります。詩の朗読もいいけど金井さんのジャズを聴くだけでも4000円の価値がありますよ。
○詩とエッセイ誌『焔』52号
横浜市西区
福田正夫詩の会・金子秀夫氏発行
ざくろ/保坂登志子
毎年窓辺に吊るしてきた
口を開けなかったざくろが
鉱物のようになって揺れている
叩くと鈍い音はするがなかなか返事をしてくれない
「秘密を守るのは沈黙のみ」とでも言うように
返事をしないざくろの部屋で
私は安心してぶつぶつ言い
泣いたり笑ったり
おこったり愚痴を言ったり
時に自分の秘密を開いて見たり
今日ざくろに丸い小さな穴を見つけた
十年ほど経っているざくろに
虫の仕業か
何故か私は気にかかり
仕事も手につかなくなった
穴をほじると
米粒より小さい角ばった種が一粒
わたしの指をすりぬけて落ちた
破られた沈黙への抗議は
私への初めての返事だった
その種の一粒一粒に「安心してぶつぶつ言」った内容が閉じ込められているんだろうなと思います。「破られた沈黙への抗議は/私への初めての返事だった」とする最終行は、なるほどと納得させられます。作者の力量を問われる部分ですが、すんなり書いてありますので、その力量のほどが判ろうというものですね。こうはなかなか書けません。
今号にも紹介したい作品はたくさんありましたけど、「破られた沈黙への抗議は/私への初めての返事だった」という2行に一番惹かれました。ざくろというタイトルと相まって効果的に2行だったと思います。
○詩歌文藝誌『GANYMEDE』16号
東京都練馬区 銅林社・武田肇氏発行
ことば/宗 美津子
南方熊楠は
終の命の時に臨んで長女文枝に言ったという
縁の下に小鳥が一羽死んでいる故
明朝丁重に葬ってやってほしい*
明朝白い手が静かに
小さな穴を掘り
両手で小鳥をそっと置く姿を思う
熊楠の娘への思いが手の囲りに滲んでみえる
世界を大きく駆け抜けた巨人から
娘に手渡されて形のない遺産
なんどもことばの宇宙を反芻してみる
すてきだな
心でつぶやくとオレンジ色のともしびが
私の心にも入ってくる
生きたようにしか死ねない
と誰かが言った
たださりげなく小さく生きて
与えるより与えられることのほうが多い私
まだ間に合うだろうかと足元を見る
感謝の心ばかりがうず高い
そのときがきたら真心を込めて言おう
たったひとつの大切なことば
いまはしばらくきれいな箱に封印しておく
*中沢新一著『森のバロック』の年譜より(せりか書房刊)
ほんとうにすてきだな≠ニ思いますね。さすがは熊楠、こんな言葉を吐いてこの世からおさらばしたいものです。さて、宗さんはどんな言葉を準備しているのか興味津々です。
「囲り」がちょっと判りませんでした。「囲い」の誤植かとも思いましたが辞書では「まわり」とふってあります。やはり「まわり」と読んでもいいのかもしれません。些細なことですが気になりました。
それはそれとして心配しているのは、「そのときがきたら」私はまともだろうか、という点です。ボケてるかもしれませんからね(^^;; まあ、そうなったらなったで、諦めましょう。
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