きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
1999.8.30(月)
8月もあすでおしまいで、今月中にやらなければいけない仕事にも目鼻がついて、少しホッとしています。こういう時に病気になりやすいんですよね。を維持しながら、それでいて力を抜いた生活をするというのは、意外と難しいんです。そんな時に、いただいた詩集を読むというのは、「多少の緊張感」があって、私にとっては幸いです。お礼申し上げます。
○関谷泉氏詩集『おはなししたい詩集』
東京都杉並区 まじょ通信社刊 非売品
夕暮れ
部屋の隅には
やさしい蛇がすんでいて
夕暮れどき
首をしめにやってくるのだ
ちのいろがとうめいになる音を
あたしはうっとりきいている
そうしてあしたも
ゆうれいのように
街をあるいていく
どんな傷も
悲しみも
夕暮れまでだ
やさしい蛇が動きだすまで
第一詩集だそうです。詩集のタイトルからすると、童話を主体とした詩集かなと思いました。そうした作品もありますが、実はそんな生やさしい詩集ではありません。この「夕暮れ」という作品が端的に物語っていると思います。
著者とはお会いしたことはありませんが「まじょ通信社」を主宰なさっているようです。1993年から雑誌を発行なさっているようで、かなりな力量をお持ちと受け取りました。この作品を拝見してもそれは感じまする。やさしい言葉で恐ろしいことを書いています。
かなり長い作品が多く、ここに転載しきれませんので短い作品を選んでみました。しかし、こうやって短い「夕暮れ」を転載してみるとこの作品が一番、著者を表現しているようにも思えてきました。
それにしても、隠れたところに優れた詩人がいるもんだなあ、とつくづく思った次第です。
○大瀬孝和氏詩集『空中楼閣−神様の研究−』
1999.7.25 ワニ・プロダクション刊 2000円+税
薄暮
ことばの薄暗い森のなかを
ひとりの修道僧が歩いています。
長い道のりを
薄墨色になって。
もう少しで
消え入りそうです。
この径を行かなければならないのなら
わたしもこの径を旅しつづけるでしょう。
私のような俗な人間には信仰者の感覚というのは、実のところよく判りません。「神様の研究」と副題がついていますから、信仰者にとっては重大な意味をもつのだろうと想像します。神学という分野があるぐらいですから、神も研究の対象になるのでしょうが、私にはいかに信じるかが信仰者の本来の姿ではないかと思えて、すごいタイトルをつけたなあという思いが先にたってしまいます。
信仰心がまったくないので、この詩集の作品についてとやかく言う資格はないと思います。しかし、この「薄暮」という作品は信仰を離れて純粋に詩として見てもすばらしいですね。「もう少しで/消え入りそうです。」というフレーズには、思わずドキリとさせられました。情景で心象をうたっている、すばらしい作品だと思います。
信仰というのはよく判りませんが、最近、詩も信仰の一種かなと思い始めています。うまく説明できないんですが、人間の最も基本的なところを対象にしているからだろうと思います。もう少し考えてみます。
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