きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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ベニス'99夏




1999.9.1(水)

 日本ペンクラブの電子メディア対応研究会が開かれました。8月はお休みでしたから、ずいぶん長いこと行っていなかったような気になります。もっとも座長やペン・ホームページ担当の倉持さん、事務局とは頻繁にメールのやりとりをしていましたから、事務的には問題ありませんけど…。
 今回から議題は「電子メディア著作権問題」。やってみて思ったんですが、これは奥が深い。現行の著作権ですら問題が多いのに、新たに電子メディア上の著作権を考えるなぞ、途方に暮れてしまいますね。まあ、時間をかけてじっくり考えるとしましょうか。このHPでも時時話題にしますので、ご意見があったらお聞かせください。
 この問題を考える上でひとつのポイントは「著作権放棄」だと思います。厳密には著作権は存在しますので、放棄ではなく複製権を認める、というものです。インターネットが普及しつつある現在、これをも視野に入れて考えざるをえないと思っています。


隔月刊詩誌『紙碑』188号
   shihi 188
  静岡県浜松市 伊藤賢三氏 発行

 まだら呆け/戸張みち子

ひと色ではさみしいと
もうひと色
いやもうひと色
花瓶の中では細(こまか)いしだれた緑に
囲まれて溢れるばかりの花

一応まとまって
形は整っているけれど
いろどりが多ければ
美しいとは限らない
嫁と娘がそれぞれとみこうみ

向い家の逞しいカンナの黄色
みていた老婆がポツリと
ねェ民主主義って何だったっけ

 思わずうなってしまいました。こんなふうに書けるのか!
 作者の思いとあるいは違う読み方をしているのかもしれませんが、私は昨今のガイドラインや盗聴法とダブらせて読みました。もし違っていても断然そちらの方がおもしろい。「ねェ民主主義って何だったっけ」と言ってやりたいですね。
 それから自分の浅学も思い知りました。「とみこうみ」が判らなかったのです。広辞苑で調べるとと見かう見≠ニ書くらしく、意味はあちらを見たり、こちらを見たり≠セそうです。勉強になりました。
 しかしそれにしても、この言葉を私の年代で何人知っているんでしょうかね。おそらく9割以上の人は知らないんではないかと想像します。戸張さんと私の年齢差は30年ちょっと。わずか30年で使われなくなっている言葉があるんですね。感無量です。


個人詩誌『点景』20号
   tenkei 20
  横浜市金沢区 卜部昭二氏 発行

 篠竹と蔓/卜部昭二

無数に密生した新生の篠竹
その群落の一本を
なぜ選んだのか
山芋によく似た若い蔓よ

こうして寄って抱きついて
ぐるんぐるん絡みついて
望みを遂げ
青い風に揺れてる気分は夢心地か

相手の逃げられぬ心知りながら
おまえは本能のまま絡んだが
やがて二つに分かつ非情な季節が来る
そのとき篠竹は風の中で
死骸を支え泣いているだろうか
それとも荷下ろしの吐息してるだろうか

 どうもきょうは作者の思惑と違う読みばかりしているような気がしますが、この作品は男女の話として読みました。男も女も相手を「なぜ選んだのか」本当のところはよく判りませんしね。「こうして寄って抱きついて/ぐるんぐるん絡みついて/望みを遂げ」るのはまさに男女そのものでしょう。最終連なんか全部そうだと言いたいですよ。
 それにしても「死骸を支え泣いているだろうか/それとも荷下ろしの吐息してるだろうか」と自問するのはもう少し先のことだと思っています。あるいは相手が自問するのかもしれません(^^;;



 
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