きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
ベニス'99夏 |
1999.9.16(木)
日本ペンクラブの例会がありました。もともと8月は例会のない月でしたし、私は7月例会もサボりましたから、ずいぶん長いこと行っていなかった気になりました。
開会の挨拶 梅原猛会長
始まる前にロビーにいたら、なんと金田一春彦先生がいらっしゃるじゃありませんか。思わず挨拶してしまいました。少しお話ししました。86歳におなりになるんですね。若く見えます。
ペンはこうやっていろいろな人に出会えて楽しいところです。
二次会は五喜田正巳さんに誘われて、筧さんともども銀座五番街の会員制クラブに連れて行ってもらいました。またまたバニーガールのいる店で、客が大人ばっかりなのがうれしいですね。
○季刊詩誌『裸人』7号
千葉県佐原市 五喜田正巳氏 発行
その五喜田さんからいただいた詩誌です。
朝ひぐらし/五喜田正巳
厨のガラスに
ガスの炎が写っている
何を煮ているのか
匂いは伝わって来ないが
青い炎を見ていると
悲しい気分になる
ガスは 体の燐を燃やし
やがて 空のボンベを残す
そのボンベに怨念が詰っていて
人を吹きとばすこともあるという
夏のさわやかな朝
坂を下っていくと
光をからめた時間が見える
若しかしたら あれは
吹かれた人の化身か
ガラスに写っていた炎が消え
みそ汁の匂いが流れた
どこかでひぐらしが鳴いている
起承転結の見本のような作品です。特に3連の転部がすばらしい。「光をからめた時間」とは、なかなか使えない言葉だと思います。光も時間の一部ですから、この組み合わせの妙は納得してしまいますね。
タイトルの「ひぐらし」に「朝」が付いている妙、終行の「ひぐらし」へ持っていく妙、教わるべきことの多い作品です。
○一人詩誌『真昼の家』11号
埼玉県三郷市 高田昭子氏 発行
日本詩人クラブの9月例会で桜井さざえよりいただきました。
春の朝
ひかりが窓辺をあたためはじめると
音も立てずに漂うものがある
「老いた天使の抜け毛」
「引力の届きにくい重さ」
ことばを探して名付けてみたいのだが
そのことばたちも 漂いながら
ゆっくりと落ちてゆくような一日のはじまり (「春の一日」第1連)
第1連と解釈しましたが、これだけで独立した作品と受け取ってもよいでしょう。言葉に対する作者の思いがよく伝わってくる作品だと思います。「引力の届きにくい重さ」とはいい言葉ですし、現象に対する見方がすばらしいですね。
今朝も聴こえる
キーコ キーコ
誰かが
空に両足を差し入れて 引き抜いて
あくこともなくこいでいます (「ブランコ」第2連)
うーむ、思わずうなってしまいますね。「空に両足を差し入れて」とは何という表現力。言葉に対する感覚と、現象への視線に並々ならぬものを感じます。小型の詩誌で、おそらく出版部数も少ないのではないかと想像しますが、こんないい仕事をしている詩人がいるのかと思うと、うれしくなります。
○個人誌『粋青』18号
大阪府岸和田市 後山光行氏 発行
おかしな国で
首を長くして美人にする習慣のある国がある
耳たぶを長くする習慣の国もある
訪ねたことはないが
それぞれの身体を変形させて
ひとつの美を表現する
昔からの習慣の国々だ
内面をきびしく
鍛える文化を持っていた私の国が
すっかり向こうの風にほんろうされて
いつもの風景が
変ってきている
頭におかしな化粧をし
耳や鼻やいろいろなところに穴をあけて
古い習慣の何処かの国のように
身体を変形させているこの国
だらしない態度と服装に
価値も何もないのに
そこに美の延長線の何かがあるのだろうか
そのような国で
時にへんな生き物とすれちがう
私の日常
おかしな習慣がひとり歩きしはじめてから
だらしないという言葉が
死語となった古い入れ物のなかから
よみがえってきた
後山さんは私よりひとつ上の人です。この作品を読んでも、同じ時代を生きているなあ、と思います。大阪と神奈川で住む場所は違っても現象は同じなんですね。ほんとうに今時のワカイモンは…。
後山さんと私が出会ったのは、今から30年ほど前です。思い返してみると、その頃の私たちも言われましたね、「今時のワカイモンは…」。私の髪も肩まで届くほどでした。それが大人への反抗の印でもありました。
そんな私たちでも、やっぱり今の若い人たちに言いたい。少なくとも私たちは「内面をきびしく/鍛える」ことを考えていた。あくまでも、その上での反抗だったのです。
まあ、結果としてこの国をこんなにしてしまったのは、私たちだった訳で、あまり強いことは言えませんが、それにしてもこの国はどこへ行ってしまうんでしょうか。
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