きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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ベニス'99夏




1999.9.19(日)

 なにも予定のない休日で、ひたすら読書感想文(^^;;書きで過ごしました。詩誌、詩集を10冊は読んだかなあ、心地よい疲れです。


大谷武氏詩集『月光狂詩曲』
   gekko kyosikyoku
  1993.11.1 随想舎刊 1700円

 あと 何年 生きれば よいのだろう(「華燭/詩劇・男声と女声のためのラプソディ」第7連)

 詩集の中ほどでこの言葉に出会ってドキリとしました。そうなんです、あと何年生きられるだろうか、ではないんです。

 すみません、
 「本物の」ぼくを
 貸してくれませんか?
 どうもどこかに
 置き忘れちゃったようなんで (「なんでも、貸します」最終連)

 これも判りますね。ほんとうに「本物のぼく」はどこにあるんでしょうか。50歳になった今でも判りません。

 あなたはご存知でしたか。
 女は
 口の中に髯を生やすそうじゃありませんか。
 唇の塗装は
 隠蔽の虚飾。 (「今なお女性の優しさを信じて疑わない人の言(ことば)第1連)

 そうなんだ! 女性にも髯があるんですね。しかも口の中に。私は心臓にあるのかと思っていましたが(^^;;
 哲学科出身の著者、というのでちょっと身構えましたが、こんな気さくな作品を拝見して安心しました。もっとも哲学ってのは人間のためのものですから、身構える私が小心すぎるんですがね。
 いい詩集に出会いました。


詩誌RIVIERE』46号
   riviere 46
  大阪府堺市 横田英子氏 発行

 わたしの位置/当間万子

ハタハタと
洗濯物がまぶしい こんな日
両手に一杯
なにかを抱えていたい

主婦として
自信があるのに

整理整頓された
リビングのテーブルの前で
頬杖ついて
空白の時間を一瞬つくる

幼少のわたし
少女のわたし
娘のわたし
主婦になってからのわたし
葛藤と安堵の入り乱れる中で
作り上げてきた
たしかな人生

時計のカチカチという音に
自信を持って
進むであろう位置
身体の老化ではなく
頭の老化ではなく
心の老化とも思いたくないが

でも今日はごまかして
炊飯器のスイッチを入れ
湯気を立て
三度の食事を作る

いまだに
どんな顔を創っていればいいのか
わからないまま

 久しぶりに当間さんの作品を見たなあ、と思っていたら「編集ノート」にも永井ますみさんが同じようなことを書いていました。やっぱり久しぶりだったんだ。
 この前にある大谷武氏の「なんでも、貸します」にも似たようなフレーズがありました。私も同じ思いに囚われることがあるので、そんなことを考える年代なのかなあ、年代には関係ないのかなあ、などと思います。時代なのかもしれませんね。こんな人間になりたい、という目標がないのかもしれません。
 主婦として自信を持っていても、フッとこう思うというのは判ります。会社や詩人の団体などでの自分の顔というのは決まっていて、それはある意味では楽なことです。パターン化しておけば余計なことを考えなくてもすみますから…。
 しかし、そこから離れるとやはり「いまだに/どんな顔を創っていればいいのか/わからないまま」なんですね。そうやって一生を終えるのかなあ(^^;



 
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