きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
ベニス'99夏 |
1999.9.20(月)
ノートパソコンがイカレテ困っています。とりあえず会社には専用のノートパソコンがあるし、家ではデスクトップがあるから支障はないのですが、やはり持ち運びできるものがないと困りますね。特に日本詩人クラブの理事会では、その場でハードディスク内の会員名簿を確認して、などという場面が多いので、これは本当に困る。
セーブモードになってしまうのでCD-ROMも認識できず、MS-DOSのレベルまで下がって修復しないといけません。MS-DOSなんか、もう忘れてしまいましたよ(^^; また取説の首っぴきの休日が始まるなあ。でも、たまにDOSに戻るとパソコンの原理を思い出していいんですけど……これ、負け惜しみ。
○詩の雑誌『鮫』79号
千代田区飯田橋<鮫の会>芳賀章内氏
発行
まず、私の新詩集『特別な朝』を「詩書案内」で取り上げていただいたことに感謝! 代表の芳賀さん、書いてくれた原田道子さん、どうもありがとうございました。ちょっと褒めすぎかもしれませんが、お言葉はありがたく頂戴いたします。
いまの世に徒手空拳なんて通じない
有事に備える法律大いに結構
攻撃されたら仕返すのが強国の論理
いまこの国は世界有数の強国なのだから
ふさわしい陸海空のにらみが必要でしょう
ところで ちょっと質問ですが----
矢でも鉄砲でもなんなりと
かりにあなたのご主人や息子さんがかつてのように
赤紙ひとつで戦場に駆り出されても文句はないですね
そんな馬鹿なことだれがきめるの
だれでもないあなた自身の意思表示ですよ (瓜生幸三郎氏「会話はおどる」第1連・部分、第2連)
PKFが始まったとき、友人の自衛隊員が言っていました。「PFK派遣を決めた人たちの息子を、まず送ってみろ」
彼は反戦自衛官でもなんでもない、若い、気のいい自衛官です。自衛官という職業を選んだことについての論議は別にしても、現職の自衛官ですらそう考えています。「あなたのご主人や息子さん」について、本気でこの国の人たちは考えているのだろうかと思います。
大河原巌さんは「講演記録」の中で、周辺有事に対する疑問を投げかけています。戦中、戦後を通じて詩人たちを含めた国民が、真剣に周辺≠フ人たちのことを考えただろうか、と。特に詩人に対する大河原さんの眼は厳しく、(行動が)できなければ沈黙し、国内逃亡を決め込むぐらいの覚悟が必要だ、と説いています。
先日、詩人になるにはどうしたらいいですか、という質問が立て続けに来ました。私はあまり強いことが言えるほど自分が確立しているとは思っていませんから、一般的なことしか返信しませんでした。しかし、この『鮫』を拝見すると、それで良かったのかな、と考えさせられます。
○個人詩誌『色相環』3号
神奈川県小田原市 斎藤央氏 発行
枇杷
教室の窓から
木の間隠れに見える
枇杷の実のように
誰にも気づかれずに
もぎ取られることもなく
ひそかに甘酸っぱい香りを放つ
想いがある
地球のどこかで
私の名を呼びながら
夢あかりのなか
朧げに見える未来へと
近づいてくるひとがある
枇杷色に灯る
灯りの下
あなたの娘と
私の娘が
生まれて来た時からの姉妹のように
和やかに語りあう
家族の光景が透けてくる
傍らに寄り添うはずの
そのひとへの憧れは
果肉のようにふくらみ
私の胸に満ち
未来に向かって
芳香を放ちつづける
インターネットは危険な側面もあるので、斎藤さんの個人的なことは詳しく述べられませんが、このあとにある散文で真意を汲み取ることができます。私にも同じような経験があって、作者の思いが痛いほど伝わってきます。詩を書かざるを得ない、本物の詩人の存在を感じます。
本来の作品鑑賞とは別の次元に話が入って申し訳ないのですが、これが詩人の原点だと思います。この時期を過ぎて、新しい展開の中での作品の出現を願ってやみません。この作品の良し悪しという意味ではなく、同じ人間として斎藤さんの幸福を望むという意味です。こういう苦しい時期を経ていない詩人≠私は信用していません。
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