きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
venice.jpg
ベニス'99夏




1999.9.23(木)

 横浜・桜木町の「ブリーズベイホテル」で『山田今次さんを偲ぶ会』が行われました。早いもので、昨年10月に亡くなってから、もう1年なんですね。でもまあ、100人近くの人に集まってもらって、山田さんもニコニコだったでしょうね。
 990923
 不思議といえば不思議な会で、ジャズの演奏あり朗読ありで、偲ぶという名目からすると、どうかな?という気がしないでもありません。しかし『山田今次全詩集』の刊行祝賀も兼ねての会ですから、これはこれで良かったんだろうと思います。私自身は、山田さんを好きだったこともあって、あまり浮かれた気持ちになれず、ちょっと沈んでしまいましたが…。

 さて、当日、うめだけんさくさんから『獣』をいただきましたので、ご紹介しましょう。


詩誌『獣』51号
   kemono 51
  横浜市南区 本野多喜男氏 発行

 わずか4人の同人が発行している詩誌ですが、中味は非常に濃いものがあります。特に書評は的を射ており、勉強させられます。うめだけんさくさん評『デュラハンの誘い』(中正敏詩集)は、私も拝見した詩集ですので、よく理解できます。中さんの感性を捉まえるうめださんの感覚は、一流のものだと思います。おそらくお二人の感性が近いためでしょうか。
 新井知次さん評『古川健一郎全詩集』考は、儲けもの≠ニいう意識で読ませていただきました。浅学にして古川健一郎なる詩人を知りませんでしたが、「−満州詩人の軌跡−」という副題が示すように、ある特定の地域、時間を生きた詩人として詩史の中で貴重な位置を占めそうです。そのような詩人を紹介できるのは、新井さんが古川健一郎のご子息と知り合ったからです。その結果として私も知ったということが儲け≠ナす。『獣』をいただかなかったら、おそらく知らずにいたでしょう。

 顔/本野多喜男

雨戸を開けると
顔が何の予告もなく
飛び込んでくる
窓の外は涯のない青空
その青空から 顔が
脳にのしかかる
錘りの重さでも
真綿の軽さでもない
きのうとは違った顔だ

 遠くの発電所の煙突から
 白煙が垂直に青空を突き刺している

小鳥の唄の上機嫌と
二枚貝の独言(ひとりごと)の不機嫌とが絡み合い
緑を誕生させた顔だ

 非常に難しい作品ですが、なぜか惹かれてしまい、転載しました。おそらく「顔」とは雲のことでしょうが、違っているかもしれません。この減速していくリズム、断定の口調に私は惹かれたのだと思います。不思議な作品で、この先も何度も読み返しそうです。


月刊詩誌『柵』154号
   saku 154
  大阪府能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行

 こちらも書評に注目しました。中村不二夫さんがエッセイ「現代詩展望」の中で山崎森氏の作品「子どもの情景4」について触れています。これは『柵』152号に載った詩で、私も覚えています。
 山崎森さんは、家庭裁判所の調査官を長く続けた方で、非行問題も扱っていたようです。それに関連した作品も多いのですが、変な説教調がなくて、いいなと思っていました。そこを中村さんも指摘しています。

 「山崎の詩は、そんな子どもたちの心情を映し出しており、訳知り顔で子どもたちのことを語るのではなく、子どもたちが子どもたちの中から変わってくることを期待して書かれている。ここでのメッセージは、ある意味で子どもたちの大人たちへ向けてのレジスタンスと言ってよい。こうした子どもたちの訴えを、私たち大人は理性で判断していってはならない。今必要なのは、山崎のように、彼らの感性を無条件で受けとめることのできる人間である。そこからしか社会は再生できない。」(「詩の再生と想像力」1 部分)

 ようやくいろいろな生き方が認められる世の中になってきたようですが、まだまだ敷かれたレールを走ることが人生の成功≠ニ考えている人も多いようです。その歪が子どもたちに皺寄せしている、とは以前から指摘されてきたことです。それを是正するにはまず親が、大人が価値観の転換をしなければなりません。これが一番難しいんですがね。



 
   [ トップページ ]  [ 9月の部屋へ戻る ]