きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.1.4(火)
暮から正月の休み中に、なつかしいハードロックを聴いていました。DEEP PURPLE、GRAND FUNK RAILROAD、C.C.R などです。特にDEEP PURPLE
の Highway Star、Lazy などは涙が出るほどなつかしいですね。ベッドにもぐり込んでステレオイヤフォンで聴いていたんですけど、朝3時、4時頃まで興奮して寝られませんでした。
暮に関連会社の役員と呑む機会があって、その時にハードロックの話に興じました。だいたい皆同じくらいの年齢なんです。30年前の音楽の話に夢中になる中年のオヤジたち、というのは端で見ていると気持悪いでしょうが、我々は久しぶりに楽しみました。
それから4〜5日して、その役員からテープが9巻ほど送られて来たんです。彼もなつかしくなって2日間聴きまくったそうです。そのついでに録音したから聴いてみろ、ということでした。いやぁ、うれしかったですね。今もC.C.Rを聴きながら書いています。
音楽的には昨今の曲に比べると、ちょっと古いなという感じは否めませんが、60年代、70年代を思い出しています。2000年になった今から振り返ると、高度成長の真っ盛りで、異質な時代だったなと思いますよ。あぁ、嫌だ、嫌だ、過去を振り返るようじゃオシマイかな。いやいや、人間は過去からしか学べないんだ、しっかり聴くゾ。しまい込んである
PINK FLOYD のCDもひっぱり出そう!
○個人詩誌『色相環』4号 |
2000.1.10 神奈川県小田原市 斎藤央氏発行 非売品 |
椿
少女の胎盤から ふいに風が起こり 狂お
しいほどに赤い椿の花びら ひとひらふたひ
らと散り落ちて 少女から女になっていくか
らだの奥にほとばしる 血の熱いざわめきが
聞こえてくる
茜色に黄昏れる空が 昼を焼き尽くし 夜
の闇を迎えるために 艶やかな色調の壁紙を
剥がしていくように 少女のからだのなかで
内なる炎が燃え出し あどけなさの残るここ
ろを 緋色に塗りかえていく 身籠もること
など許されない 肢体不自由の少女の麻痺し
手感覚を失った子宮の奥で 椿の花が散り落
ちる
椿はいくたび散るだろうか 咲いても実を
結べないまま 夢ははらはらと花びらを落と
す 少女の想いは誰かの胸に届くあてもなく
冷たい風に吹かれて どうにもならない女
の性の暗がりのなかに沈んでいく
二連目の「麻痺し手」は「麻痺して」の誤変換だと思います。まあそんなことはどうでも良くて…。斎藤さんは中学か高校の先生だったと思います。そこから想像するに特殊学級か養護学校に勤務なさっているのかもしれません。この作品はそういう前提に立って拝見しました。そして難しいところを突いているなぁと思いました。
「肢体不自由の少女」が成人して妊娠することは、現実にはあることだろうと思いますが、さて、どんな生活をしているのかということになると皆目見当がつきません。肢体不自由の程度にもよるんでしょうが、相当な困難がつきまとうはずです。この作品では、そうはならない、という立場をとっているようで、現実にはないのかもしれませんが…。
いずれにしろ、そういう問題を私自身は考えていない、ということを知ってショックでした。日常的にそういう場面にぶつかっている人に言わせれば、なにを今さら、と言われそうですが…。私自身が知ったからといって、事態にはなんの影響もありません。しかし私にとっては知ることが大事なのです。別に何らかの行動を起こそうなんて生温いことを考えてはいませんが、認識することが第一歩だと思っています。その意味でも教えられた作品でした。
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