きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
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新井克彦画「アカククリ」




2000.1.24(月)

 日本詩人クラブ会員の田中眞由美さんが出品しているというので、「0展」を観に銀座に行ってきました。オープニングパーティーがあり、タダ酒が呑めるってんで行く気になったわけです(^^;;

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「画廊アート・プラザ」にて

 オープニングパーティーってのは、確か初めてだったかな? 1回や2回はあったなぁ、という程度で、おいしい日本酒も堪能させていただきました。メンバーも20歳になったばかりの人やご年配までと幅広く、楽しい会でしたね。久しぶりに絵の話で盛り上がりました。
 詩人ばかりと話すのではなく、こうやって画家や音楽家などジャンルの違う人と会うのは、いいことです。違った側面から詩を考えることができ、刺激されますね。二次会は近くの呑み屋に行って、終電前の新幹線まで呑んでいました。少々、頭が重いです。


春木節子氏詩集『悦郎君の憂鬱』
eturokun no yuutu
1996.9.10 宮崎県高岡町 本多企画刊 2000円

悦郎君の憂鬱

 上流に行くほど 川音の増す流れに沿って 山間の切り通しをタイヤ
を軋ませ登って行くと 突然と開ける視界 見下ろすとチラチラと微か
な灯りが点在する谷底の小さな村 悦郎君の家は その集落からも離れ
て さびしく在りました
 わたしたちの不意の帰郷も 悦郎君は二階屋の出窓から 暗闇に見え
隠れした車のライトで 知ったのでしょう 夜遅いにもかかわらず駆け
付けてきて 薄暗い玄関先に立ち「昭彦さんは 居られますか」と案内
を請うのでした
 彼はランニングシャツに 慌てて穿いてきたらしいベルトのないズボ
ンを吊りあげながら「近況報告をお知らせに来ました」と挨拶し「元気
にしていましたか」と問う夫に「だいぶ落ち着きました 大丈夫です」
と胸を張って答え 続いて村人に理解されない自分の生活の現状を訴え
悦郎君は同じ熱意で彼の研究を語り  村の人々がその高度な学問を分
かってくれるはずのない事も 十分自身も知っていることを訥々と述べ
顔に向かってくる何疋もの小さい蛾をしきりに手で払いながら 聞いて
貰える嬉しさに次々と研究を子細に説明し 不精髭の顔をだんだんと紅
潮させていき

   悦郎君が 勉強のし過ぎで少しおかしくなり 彼の家族によって
   精神病院に入れられ 夫に「助けてください」と寄越した手紙を読
   んでいたわたしは この村の人々の 無神経ともいえる仕打ちに腹
   立しささえ覚え 目の前に立っている少し風変わりな けれど志
   の高い青年に 思わず同情していた

 悦郎君はわたしの気持ちを敏感に察したらしく 握り締めていた一冊
の雑誌をわたしに押しつけ「僕が送った研究が認められ『フィジカル・
レビュウー』に載りました」と言いながらその著名な科学雑誌の頁をつ
ぎつぎとめくって見せると 電灯の薄明りの下 どの頁も破られた白い
ノートの一枚一枚が ただ無造作に貼られ 羽虫の死骸が無数にこびり
ついているだけ
 夫の鋭い視線に気をとりなおしたわたしを  悦郎君は黙って見返し
「頑張ってください」という声にも黙して 門に立ち見送る私たちにも
振り返ることもせず 少しずつ遠くなって散在していく街灯に 長い影
をつくりながら  川音の聞こえる緩い勾配を一人帰って行くのでした
闇の中へひっそりと

 この詩集の中では、他と毛色の変った作品ですが、作者の特徴的な視線を代表するものだろうと思って、全文を紹介してみました。狂人を見る目と同時に、狂人から見られる目、を感じます。「悦郎君はわたしの気持ちを敏感に察したらしく」「悦郎君は黙って見返し」というフレーズがそれだろうと思っています。
 狂人を見ている私たちは、実は見つめられているのではなかろうか、と、この作品は訴えているように思えてなりません。詩集全体を通して、そのふたつの目を春木さんは持っているようです。ですから、今は誰の目で見ているかを考えながら読まないと混乱します。そこが実に詩的でおもしろいのですが…。
 ご自身の幼少期、入院などを素材にした作品が多いのですが、日常の記述に留まらない知的な作品で、久しぶりに頭を使ってしまいました。軽い疲労がありますが、心地良い気分です。



 
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