きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.10.5(木)

 10/1に寝込んでから10/2・10/3と休暇をとって、結局、寝てました。どうも風邪だったようです。48時間中40時間は寝る、という状態で、治ったようです。皆さんもお気をつけください。
 さて、きょうは中学校PTAの役員会。今夜はちょっと時間がかかってしまいました。と言っても2時間の予定が1時間半でしたけどね。ともかく動員要請が多すぎる! 県、市などの要請が向う2ヶ月で5件、計10名です。委員が8名しかいないんで、全員がどれかに出席しても間に合わない勘定になります。一覧表を作って分担しましたよ。皆さん協力的だったんで、すぐに決まりましたけどね。私も無理して2日も休暇を入れて分担させてもらいました。
 こういう困難な時にこそ、集団の実力が判るというもんですね。議事進行係の私としては、次々とメンバーが決まって行くのを見て、ある種の感動すら覚えました。正直なところPTA役員なんてクソくらえだ、なんて普段は思っているんですけど、こういう事態を経験すると、やってて良かったなと思います。それが自分にとってのメリットなんでしょうね。委員の皆さん、ご協力ありがとうございました!


詩誌『獣』53号
kemono 53
2000.9 横浜市南区
獣の会・本野多喜男氏発行 300円

 鏡/新井知次

もう十年も寝たきりなので
世界は鏡のいらないベットの四角になった
髪の毛が長々と添い寝している
ある日ボランティアの娘がきて
軽快なリズムで短髪に刈りあげ
剃刀をあててくれた
「さっぱりしたでしょう」
娘は満面の笑みをうかべて
鏡を四角い世界にさしだした
「どなた様ですか」
鏡には知らない老女がいた
彼女は十年前の顔しかもっていなかった
「わたしゃこんな年寄りじゃない」

 なんとも身につまされる作品です。私だって同じ立場に置かれたら、同じことを言うかもしれません。密かに10年前の自分の顔を思ってみました。想像もできなかった現在の自分を認識しています。怖い作品ですね。
 「どなた様ですか」というフレーズで、よき時代を過ごした方だと思いました。私たちなら「誰?」ですんでしまうでしょう。それと、人間というのは若さが良いものだという前提で生きているんだな、とも思いました。それがこの作品の底にあって、読者も暗黙の了解をしていると思います。常々、それでいいのか、年寄の美もあるんではないか、と思案するんですが、なかなか突破できません。世間さまと逆の発想をしようというだけのスケベ根性だから突破できないんでしょうね。この作品を通して、そんなことまで考えさせられました。

藤子迅司良氏詩集『逃水』
nige-mizu
2000.9.10 熊本県菊池郡西合志町
燎原社刊 2500円

 壁

夏がまだ暑い頃西瓜の回りに家族中が集まって
息を呑んで切られて行く様を     見つめ
それは小さな満足と  小さな諍いがすべてで
あれから          あの仕合わせも
不仕合わせも       越えられずに居る

 非常に長い作品が多く、迫力のある詩集です。そんな中で、この作品は「暦」という総タイトルのもとに1行〜10行ほどの作品をまとめた章の一部です。文字通り、歴史への考察ととれる章です。それも家族の歴史から人類の歴史と、縦横無尽に時間と空間を表現しています。
 この作品には作者の思想が凝縮しているように思えてなりません。いろいろやってみたけど結局、乗り越えていないな、そんなもんかもしれないな、という作者のつぶやきが詩集全編を支配していると言ったら言い過ぎになるかもしれませんが…。でも私も同じ思いですので、共感しています。科学技術を進化させ、インターネットを駆使する時代になっても「小さな満足と小さな諍いがすべて」であることには変わりありませんからね。詩人が立脚すべき位置を教えてくれる作品、と言えます。



 
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