きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「茄子」 |
2000.10.9(月)
体育の日。いつも10月10日で、晴の特異日という意識がありましたから、9日というのはピンときませんでした。案の定、ドシャ降り。3連休はうれしいけど体育の日は10日の方がいいんじゃないのかな。きょう運動会を予定していた所は、結局10日に順延かな、などと思っています。
ドシャの中、『山脈』107号の編集会議に横須賀まで行ってきました。思った以上に人が集まってくれて、私の専任だった目次つくりも他の同人に任せるありさま。積極的に編集に携ってくれるというのは、同人雑誌の編集者として、うれしいことです。
写真は編集が終ったあとの懇親会の様子。女性同人が見ているのは、『山脈』創設頃のアルバムです。50年前のことです。私が生れた頃。長い歴史があるんです。
107号は11月中旬には出ると思います。また勝手に送りつけますが、ご笑覧ください。ご感想なども聞かせていただけるとうれしいですね。
○上田周二氏詩集『死霊の憂鬱』 |
2000.10.10 東京都千代田区 沖積舎刊 2500円+税 |
「T プロローグ 繁華街の夜」から「X[ エピローグ 繁華街の怪」までの18篇を編んだ詩集です。すべて「この夜 わたしは」という書き出しで始まる作品です。作者にとっては1991年の『華甲からの出発、または……』以来の2冊目の詩集になります。本来は小説、エッセイ、評伝の作家でもあります。
この詩集は不条理の解明、というべきテーマでまとめられたと言ってもいいのかもしれません。異形の者たちに様々な言葉を発せさせています。
わたしは この世が不条理だと歎きもしないが よろこびもしない
なぜなら 人間は 他の生きもの以上に特権を持ちすぎている
現実が虚妄なのも 虚妄が現実なのも 人間の特権なのだから 「XV 夢飛行」第3連
全編を通して、この連がキーワードであると思いました。不条理の理由は「人間は 他の生きもの以上に特権を持ちすぎている」ことにある、とする作者の視線は鋭いと思います。異形の者に語らせることによって、この世を見つめ直すという作業は、上田周二という詩人にのみ与えられた「特権」のように思えてなりません。
○詩誌『花』19号 |
2000.9.25
埼玉県八潮市 花社・呉美代氏発行 700円 |
千田/宮内孝夫
紙上を流れていた鉛筆の音が消え
教室は水平の時間へと包まれていった
二年C組 学期末数学テスト
ふと 視線を後ろの壁に掛けられた
ミレー「落ち穂拾い」に移したときだった
秋のカレンダーとはいえ
この絵は急速に僕を少年の日々へとタイムス
リップ
この校舎が立つところは千田と呼ばれ
飛行場を隣に 見渡す限りの沃地
午前の授業が終ると五年生以上はゲート
ルを巻き
たっぷり一時間歩いてこの沃地に立った
----勤労奉仕という名のもとに
ある日の午後は刈り取った稲の束ねに
ある日の午後には落ち穂拾いに
千田の田を駈けずり回った
夕暮れ 出征した夫の留守を預かる村の
おばさん方から
掌いっぱいに大豆の煎ったのを受け
頬ばった時はこれ以上の至福はないと思っ
たものだ
秒針の動く音!
テスト終了五分前
今 「千田」という地名の上で女生徒たちは
苦手の数学に追い込みをかけ
テスト監督に戻った僕は
四階の窓からしばらくぶりに見たネガの上に
肥大化された街を重ね合わせている
10/5に宮内孝夫さんが亡くなったという知らせを受けたのは、10/6の日本詩人クラブ理事会の席ででした。宮内さんとは面識はありませんが、9月に『砂嘴』という詩集を出版されたばかりだというのは、私も詩集をいただいていましたから知っていました。ひさしぶりの詩集出版のはずですから、仲間内ででも出版記念会をやるんだろうと想像していましたから、亡くなったという知らせには驚きました。
『花』をいただいて宮内さんのお名前を見たときには、ある種の感慨がありました。確実に生きて、書いていた作品がこれだ、という思いです。亡くなったから贔屓味に言うわけではありませんが、いい作品だと思います。「水平の時間」というフレーズは、テスト中の雰囲気をうまく表現していますし、「----勤労奉仕という名のもとに」は、森政権の馬鹿げた回帰への批判ともとれます。作品全体からは、生徒に好かれただろう教師の姿が伝わってきます。
『花』の同人なら、いずれお会いする機会もあっただろうに、残念に思います。ご冥福をお祈りいたします。
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